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コメントウザ男に菩薩リプライ③~年始編~

SNSで発せられる、友人たちの年始の抱負。
「昨年も色々活躍したし、今年も活躍するだろうな」という友人ほど、新年の抱負はサラリと、そして具体的に、分かりやすい言葉で書いてある印象。

以前から私がFacebook上で注目している、コメントウザ男と菩薩のやりとりは、そんな年始のやりとりについても、期待を裏切らず熱かった。

菩薩は2019に入っても菩薩らしさを失わず、やはり抱負も真面目。
「2019の始まりは、ご近所の七福神巡り。寒かったけど、なんとかコンプリート!ご利益あるといいな。今年は御朱印帳を買って、御朱印集めをするのが目標。でも、おみくじは末吉。微妙……ですかね?(笑)。」
私のようなひねくれた人間には、(笑)をつける意味が1mmも分からないのであるが、菩薩は笑いの沸点が低く、何にでも笑ってくれる神なのだということを改めて確認。

この投稿に対するコメントウザ男の返信に、私は新年から狂喜乱舞。

「26年前から数年間その近くに住んでいたので、そちらの神社にはよく参っていました。が、七福神巡りをしたことは、確か24年前の正月(いえ、期を逸して1月半ば過ぎだったかも。記憶が曖昧で申し訳ない……)一回きりですが。息子の受験が無事に成功しましたので、ご利益はあると思いますよ」

出た、コメントウザ男!新年一発目であろうとも、決して菩薩に対する挨拶をせず、自分語りをする姿勢には、惚れ惚れ。菩薩の返しはこうだ。

「明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします!コメントウザ男さん、そういえば昔このエリアにお住まいだとおっしゃってましたよね。七福神巡りの先輩ですね!息子さん、良かったですねえ。私もウザ男さんのようにご利益あるといいです」

誰か菩薩にお年玉やってくれ!そう思っていたところ、コメントウザ男から、更なる仕打ちが。

「息子に関しての祝辞、ありがとうございます(と言っても、かなり昔のことになりますが……)。ちなみにですが、御朱印を集めるというのは、個人的にはあまりお勧めしません。何故ならキリがないですし、神社にお参りして気持ちを整えるという本来の目的から逸脱し、御朱印を集めることが第一義になる怖れがあるからです」

御朱印帳を投げつけたくなる場面でも、菩薩は冷静。

「確かに御朱印集めに夢中になるあまり、本来の目的を見失ってはダメですよね。その視点、全く抜けてましたので、気をつけようと思います。貴重なアドバイスありがとうございます!」

ここまで来ると、菩薩もわざとなんじゃないの?と訝るほどの神返し。だが、その神返しに満足しないのが、コメントウザ男の真骨頂。

「ちなみに、僕の今年の抱負は、昨年、地に蒔き根を張らせた、数々の果実(=ご縁とも言います)の熟しのタイミングを的確に見計らい、それらを丁寧に剪定し、2019という革新に向かって前を向いて歩くことです。昨年、見事なエンディングを迎えた故郷の先輩、西郷どんに恥じぬよう邁進する所存」

今現在、この目標に対する菩薩のリプライはない。さすがに意味が分からなくて絶句しているのだろうか。
代わりに私がこうリプライして差し上げたい。
「やはり、人間はご縁が全てですよね!2019は、ウザ男さんが育ててきた果実が、どーんと熟しますように!微力ながら応援しています。チェスト!!菩薩」

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