台所ぼかし

かすかべ思春期食堂~おむすびの隠し味~【Page24】

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 四、ありさの決断 ⑤

 その日の物理の授業はみないつもより集中して聞いていました。そして質問タイムには上田が遠慮がちながら手を挙げ質問しました。それに先生が答えると、他の生徒も一人二人質問をしたのでした。質問をして答えてもらえると、自分が受け入れてもらえた気がして、何か自信につながるのか、他の授業でも生徒の目の輝きが違っているようでした。

 4時間目は担任の、というか担任の業務を降りたばかりの戸部の社会の授業でした。ありさはちょっと身構えましたし、他の生徒もいつもと違う緊張感で戸部の授業に臨んでいました。健康問題とは何なのかも気にかかっていました。生徒は戸部の表情をよく見ようとしましたが、戸部は生徒たちとは目を合わせず、担任を降りたことも何も話さず、質問の隙を与えない流れで授業を進めチャイムが鳴ると同時に出ていきました。

  ありさは戸部を追いかけ廊下で話しかけました。

「先生、今朝、高村先生に診断書提出しました」

 戸部はうんとうなずいただけでありさに振り向かず黙って足早に行こうとします。ありさは速足で追いすがりながら

「先生、あたしが反抗的な態度とったように思ってるかもしれないですけど、あの、そういうつもりはなくて、ただ、カラコン入れてないってこと言っただけなんで……先生、すいません。そう思われたなら謝ります。ごめんなさい。でも目のほうの診断書見てもらえればわかります」

 戸部はそれに応えることもなくどんどん歩いて職員室の前まで来ました。

「あの、それから先生、体の具合が悪いって……大丈夫ですか?」

 そのとき職員室のドアの中から

「だから、あの人は担任なんてもともと無理だったんだよ。僕は最初からそう思ってたのに、校長の恩人のコネだからって。校長もあと一年だから、その時にはもう……」

 学年主任の豊田の声がして、自分の昼食を持った学年の教師5~6人が職員室から出てきました。大きな声でしゃべっていた豊田の前の教師が振り向き、戸部がいるのを豊田に手の合図で知らせ、話はぴたりと止みました。戸部は豊田たちに背を向けました。そのあと3~4人の学年の先生たちが自分の昼食を持ち、会議室に入って行き、その中には担任代行になった高村もいました。

  ありさを見た高村は

「藤崎、担任に用なら僕に言いなさい。今から会議だから帰りのHRで」

「社会の授業の質問です」ありさは答えました。

 一行が行き過ぎるのを待って職員室に入る戸部に続いてありさも職員室に入り、席に座った戸部の横に立ちました。豊田の先ほどの言葉、戸部だけ会議に呼ばれていない様子から、戸部がどのように扱われているかをありさも察したのでした。

「カラコンの件はわかりました。もう私は担任ではないので、あとは高村先生に話してください」と、ありさにこれ以上付きまとわれたくないかのように、事務的にいう戸部に

「先生、健康上の理由って……あたしわからないけど、そういう理由をつけて外されたのか、ほんとに病気になっちゃったのか……どっちかですよね」

「いや、そういうことではありませんから。それから……カラコンのことは……何回も言ってすまなかった」と最後は消え入りそうな声で言いました。

「先生の体の具合はあたしのせいではないんですか?」と心配そうに言うありさに

「いえ、違います!もう教室に戻ってください!」少し大きな声になった戸部にありさも少し声が大きくなり

「先生、あたしが言うのもなんですけど……あの……心療内科の先生は話を聞いてくれます。それから法律相談というのもありますから!」

 職員室にいたほかの教師たちもありさの発言にハッとして顔をあげ、ありさのほうを見ました。

 そのとき、ちょうど帰り支度をしていた物理の講師の浪岡がにこやかな顔で

「おやおや、お昼ごはんは食べたんですか?ちゃんと食べないと脳に栄養がいかなくて勉強に集中できませんよ。先生のことは心配する必要はありません。さあ、教室に戻って。また来週授業でお会いしましょう」

 ありさは教室に戻って自分の席にどさっと座りました。

(ああ、今日は疲れた……)

 教室ではみな昼ごはんの最中でした。一人で食べている者、何人かで机を寄せて食べている者、ご飯やのりや唐揚げなどの入り混じったにおいとしゃべり声があふれています。

 席に座ってぼーっとしているありさにしおりから声がかかりました。

「ありさ、弁当は?」

「今日は書類を出すだけのつもりで来たから持ってこなかった。売店でパンでも買ってくる」そう言って立ち上がろうとしたとき

「このひとつあげる。このあいだ、ありさの下宿でごちそうになったからお返し」ゆいがアルミホイルでくるんだおむすびを差し出しました。ありさは受けとると

「あ、ありがと……」

 しおりから声をかけられたことも、ゆいからおむすびを手渡されたことも意外と言えば意外でしたが、何故かいつものことのように普通に感じられたのでした。

  四、ありさの決断⑤ に続く




 



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