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横に座ったピンクのリボンの人の話。

ヘラルボニーの稲垣かのこです。今日は自己紹介をしますが、自己紹介がとにかく苦手です。ヘラルボニーでは、企画と編集を担当しています。みんなからはかのこって呼ばれています。自己紹介がとにかく苦手です。自分の何を話すのが正解かわからないので、いつも正解を探しにいくようなことをしてしまいます。嫌だなぁ。だから、以前、自分が書いた文章を自己紹介に変えて、お送りしたいと思います。この文章を、代表がとても良いとわざわざ連絡をくれたのを覚えているからです。


□横に座ったピンクのリボンの人の話。
新幹線で神戸から東京に向かっている。どこにいてもいつも楽しく面白く、いつも規則ただしく疲れる。
新幹線の3列シートの自由席に座るとき、横にどんな人が座るか、結構ドキドキする。人が混み合っていないときは、窓際の席に座り、真ん中にリュックなどの荷物を置く。(置かしてもらう。)
今日は私の横に、ピンクのリボンをつけたおじさんが座った。ピンクのリボンをつけて、ピンクのポロシャツを着て、ピンクのポーチを床に置いて、ピンクの丸い大きなビーズがついた髪ゴムを腕につけていた。(おじさんと言ってよかったかどうかはここではおいておきたい)膝の上にラミネートをしたリボンを着けた「ねこおんな」とかのイラストボードを置いていて時々みている。
正直、ぎょっとした。多分同じ車両の人たちもぎょっとしていたと思う。座る席がなく、うろうろしていたその人の存在に気がついた私は、横に置いていたリュックを膝の上に置いた。「わたし名古屋までのなの」ってピンクの人は言ったと思うんだけど、早口すぎて何を言ってるかわからなかったので、ん?と聞いて、また言った。「わたし名古屋までのなの」。そしてその人は、バニラアイスを食べ始めた。膝の上にイラストを乗せて、時々それを見ながら。

人はたいていの場合、知見(見て知ること)を超えた人に出会ったとき、「こわい」という感情を起こすものだと思う。そして、その「こわい」の感情は、自分自身でなんとかなるんじゃないかと思う。経験や体験で、人の知見はどんどん広くなる。知らなくても、広がっていく。大体のことに驚くことはなくなる。赤ちゃんが泣くのは、お腹がすいているからだ、とか。あああああああと自閉症の人が声をだすのが、音がたくさん聞こえすぎるからだ、とか。認知症のおばあさんが、昔の話をずっと繰り返すのは、人の脳は長期記憶の方が記憶として残るからだ、とか。人の行動には必ず意味がある。一見、自分ではわからない行動の背景をどれだけ想像できるか、想像するかが重要だと思っている。他人にすこぶる興味があった私は、小学生のころから、かなりの量の本を読んだ。いろんな人の有り得る感情、行動を知ることができた。自分にあった環境だって、特別ではない。どこかにいる誰かと同じだと思っていた。本のなかにいる人はフィクションじゃない、物語もフィクションじゃない、ノンフィクションだといつも思う。どこか誰かの存在だ。類似した存在だ。
ピンクの人は、バニラアイスを食べたあと、少し缶コーヒーを飲んで、メロンパンをポロポロ落としながら食べていた。指をおって、名古屋駅到着までの時間を数えていた。とても姿勢がよかった。名古屋駅について、席を外したとき、私はもう一度その人をみた。目が合った。私のほうに腕がのびた。私の席の近くに落ちていたメロンパンのカスをつまんだ、小さいカスはその場で、はたいていった。


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