日記240115 (義務生き)

特定の規律とそれを運用する人間のファジーな悪辣さに対する怒りとやるせなさがおそらくは私の現在の心身の9割を縛っている、なのでそれらに属することを辞めれば9割のつかえが取れて未来は切り開かれるだろう。勿論トレードオフとしてダメージがあり、長期的な収入の問題と、1 hopを介する距離の人間関係 (例えば、交際相手の親) への社会的信用の問題がある。つかえの残りの1割はタナトフォビアに関することなのでどちらにせよ即座に解決できない。とりあえず置いておくとする。

それらさえクリアすればいいのか、ダメージを引き受ければ9割は綺麗に解消されるのかと考えるにあたり、自分は義務と責任に生かされているのでは、という懸念に躓く。怒りの対象を目前から排するために自分を生かしている原動力も併せて排することにならないだろうか。つまり、負の要素でも身体は動き、これが一切の虚無になったとき他のものを充填できる元気が果たして残っているか。あるいは、いわゆる"黒歴史"というか、過去の恥ずかしい失敗を急に思い出しては奇声を上げることは多くの人にあるだろうが、そのように、汚点が一生後ろ髪を引く悪霊に化けないか。など。

しかしこれは臆病の一言でまとめることも可能、オロオロしているうちに最悪のタイムリミットは近づいている。

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