日記240118 (ボリューム/空リプ)

SNSで「こういう実績がある (あり、大衆から価値を認められているので、あなたもそう捉えることが正しい) 私の作品を聴いてください!」という、自慢なんだか不安なんだかわからない投稿が回ってきた。そういったものに左右されずおれは自由に価値判断を持つがね……という話はさておき、平たく汚く言えば売れたがり・セルアウトな姿勢はSNSではごく当たり前に見かける。

非常に悪いことのように書いたが実際は悪いと思っているわけではなく、パブリックな場でしっかりセルフマネジメントした"体"を晒すことで得られるものは沢山ある。個々人の目的に対しての意識的なふるまいがなされているんだと感じる。皮肉も裏もなくそう思うし、自分にも思い当たる節はなくない。

一方で、華々しく自分を大きく見せることに興味がないタイプの人がいる。単なる趣味としておれはそういう人のほうが比較的共感できる。粛々とやれることを積み立てるひとはかっこいいし、別に積み立てずに時たま何か変化球を投げるだけのひともかっこいい。それが偉い・優っているということではなく、野球よりバスケが好きとか、TVよりYouTubeが好きとか、作者主体・活動内容より作品が好きとかと同様、ただの趣味の話だ。

発信者としてのおれは後者寄りに該当するが、もう"体"をメンテすることに疲れているので、機会があれば意図的に"体"を破壊する方針で、ネガティブな発言をパブリックな場に置くことにしている。おそらく様々な機会を損失しているが、インターネットにおいてごく自然となった強固な"体"の縛りに対して逆行することで何か自分の中で中和されているように感じている。

他人を刺さないことには割と注意しているつもりだが、それは内心に関係ない"体"マターとしてのsensitive terms回避ではなく、内心と社会善のフォーカスを極力合わせようとしている。その代わり、自分なりのセーフ/アウトボーダーを明確にした上でハードルをやや低めに設定してはいる。(その結果「followerが自ら、おれのネガティブな話を読み不快になる」被害について、おれはおれ側の責任をしっかりと感じていながら対策をしていないので、自分の罪を感じている。)


違うわ、最初に話したかったのはそれじゃない。書きたかったのは、身を置く場所によって割合をどうしても見誤るということだ。

つまり、SNSばっか見ていると「誰も彼もセルフプロデュースによる積極的なセルアウトに興味を持てていて、その態度を開け広げにし、名実ともに力を付けていくことが正当かつ圧倒的多数派」のように見えることがある。勿論そうじゃない人がいると知っていても、潜っている人のボリュームはおすすめタイムラインからは窺い知れない。「おれはそうじゃない……本当はそれが正当であり、そこに向かって努力しなければいけないのに、できていない」のような感想が得られる。(ちなみに現在のおれはそこまで大仰には感じていない)

そしてそれは、SNSしか見ていないから / もっとリアルで色んな人と話す身の置き方をしてみると、ボリュームの肌感という前提がひっくり返るかもしれない。「いやあ、最近は全然ですわ。それで食っていくのはとうにあきらめてるんで。作りたいものはあるんですけどね。へへ……」と言いながら特に作品も作れていないHercelotみたいな奴5人、10人とでも話せば相当うんざりするに違いないし、そのあと「実績のある私を見てくれ!」という元気を見たら満面の笑みで応援したくなるかもしれない。

"黙って粛々"タイプを賛美するのはおれの趣味だが、単に引きこもってるから偏ってるだけで、さもなくばもっと趣味が変容するんじゃねえの? その趣味の根の深さって大したことないんじゃないの、という自分への疑義を持った今日の、日記。


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「他人を刺さないことには割と注意しているつもり」についてひとつ昔話がある。ジャンルや属性に一人称複数の形で自虐を行い、属性そのものを終わったことにする先達の物言いがあり、全体を死んだことにするぐらいなら一人で死ねばいいのに。一人で終わっていてくれよ。続いている者まで終わらせるんじゃないよ。のような内容をかなり具体的に空リプめかして書いてしまったことがある。

これは本当に心の底からの怒りで、最悪の態度のひとつとして非難するし、いまもその気持ちは変わっていない。しかし、おれのその発露の形式は延焼を起こすに余りあるもので、横聞きの第三者に「人に死ねと言うな」の一本槍で大層怒りを買い、それもまた直接対話でない形で晒されることになった。おれが、生死が現実的にクリティカルな話題とならない年齢だった傲慢さを踏まえると、一本槍と言っても極太の一本である。

おれは空リプではなく当人に直接突きつけるべきだったのであり、つぶやきの形で宙に浮かせたことは大罪である。

自分の悪さがはっきり理解できたので反省し、直接その第三者と会った際に謝罪した。しかし、以上の文意を十全に釈明できたわけでもなく、相手からしたら単に、「人に死ねって言ったのは悪いことだから、謝った」以上の理解はされていないだろう。その場にいたまた別の人も巻き込んで、「なんか人に死ねって言った人」として評価されたことだろう。

おれが人に本当の意味で生命活動を止めてほしかったわけではないことは上記の通りだが、比喩としてもライン超えの表現だったことも理解できる。「誤解を招いてしまい申し訳ありません」はサイアクの物言いだが、実際2割はそう思っている。6割は「直接言わない態度で第三者を巻き込んでしまい申し訳ありません」、残りの2割は「"体"と常識に欠ける比喩選択をしてしまい申し訳ありません」だ。


これを踏まえて次にやらなくてはいけないのは、「誰かの特定の投稿などに対する反論や異議なのにもかかわらず、自分の中で整理する過程で微妙に一般化し、リアクションではなく態度表明として発言してしまう」欲望を抑えることだ。
つまり、〇〇をしている人を目にしたとき、「こういう理由で〇〇は良くないと思う。だから自分はこれからもしないでいこうと思った。」みたいな自省に還元することであったり、〇〇をレッテル化して冷笑できるジョークに成り下がらせることもそうだ。

これらは、直接異議を申し立てれば良い。でも怖い。親しい人でも無いやつから急に話しかけられるほどのことなのか? 140字でまともに意見交換できるのか? だから一人称の話に還元して独り言にしてしまう。

でも言っちゃう、のは「なんでもSNSでペラペラ漏らす馬鹿」と言いうる。しかしその理由は、言ってスッキリしたい欲だけではなく、立場と意見を表明することはその小世間の中の人々に確かに影響を与えるからだ。何も言わないほうが必ず良いわけではけっしてないのだ。それは極端にいえば、「政治家になる or なれないなら選挙にも行く意味はない」と同種の二値的な考え方だ。

しかしだからこそ、勇気を持って直接話しかけることがとても重要だと思うし、直接いけないなら黙ることも大事だと思う。100%はやらなくていいと思う。グラデーションがある。でも努めるべきだと思う。
この日記後編だってまさに、「わだかまりがあるのなら、その"第三者さん"や居た人々に今からでも釈明を尽くすべきでは? しないならこうして自省文の形に回収せず、黙るべきでは?」と言いうる。今から昔話をほじくり返すウザさ・迷惑には行けず、胸のうちに秘めることもなく、独り言として吐き出している。理解していても回避できないことがある。
これを読んだあなたを刺せる立場なんかじゃないんだおれは、ってことを申し添えて、ここまで駄文お読みいただきお疲れさまでした。

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