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生きている時は毒親、死ぬ時は子孝行


子供の時、なんで私はこんな家に生まれてきたのだろう?
と思ったことがある人は沢山いるのではないだろうか?

温かい家庭
幸せな家族
優しい母親
大好きなお父さん
親を大切に
子供は宝物


こんなことが、世の中で歌われていた、テレビも、世間も、この伝えを1ミリも疑うことなく正しいことだと信じていた。

じゃあ、なんでうちの親は優しくないのか?
自分自分で、子供のことは後回しなのか?
両親は常に罵り合い、罵倒し合うのはなぜか?


周りの家族は仲良く見えているし、ご飯も作ってもらうのが当たり前みたいだし、必要なものは与えてもらえているように見えていた。
この差は何なのだろう?

それでもはたから見れば、そこそこまともな家庭に見えている。けれどもその渦中にいる場合は、本当にキツイ。
小学生低学年くらいの頃なら、なんでうちはディズニーランドに連れて行ってもらえないんだろう?くらいしか解らなかったし、親が、子供に優しいものだなんて空想の物語で、シンデレラや、小公女セーラ(分かる人にしかわからないワード)のような悲惨な環境よりはましだな!なんて感じていたけれど、高学年になった頃から、やはり一般的な家庭とは違うな。と気がついてしまった。


酒、タバコ、ギャンブル、は朝飯前なのですが、
借金、取りたて、夫婦喧嘩、いがみ合い、このあたりは思春期の子供を不良にさせる要素満点だった。
残念なことに、不良が恥ずかしく、カッコの良いものとは思えなかった私達兄妹は、
不良になって寂しさを赤裸々に表現することもなんか残念な気がして、どうにもならないこの残念な状況をさっさと受け入れ、少しでも状況がよくなる方法をひたすら考え続ける。時間は腐るほどあった。

この、自分に取っての不都合な状態をひとまず恨んで、親に責任を押し付けて、反抗してみたりして、気付いた。
とにかく、近くにいたらこの人格が自分に映るんだ!
これは、今思えば素晴らしい気づきで、社会に出ても居心地の悪い環境から離れないと、人は慣れる。嫌が当たり前。我慢に慣れる。心の疲弊が当たり前。

私は、15歳で社会に出ることを選択出来たこと、20歳で一人暮らしにこぎつけてそこからは、7年くらい実家に帰ることは無かった。
「どうやったらこんなに帰ってこないんだ!」
と言われることもあったけれど、何故と言われれば、答えがあるのだけれども子供に生まれているだけに、そこまでハッキリとは言えないでいた。
「あなた達がきらいだからだよ!会いたくないし、はなしたくもない。」
なんて言わず、もちろん忙しいとつたえていた。

この距離がやはり良かったようで、その後は時々合っても、普通に話せた。
時々、金をせびりに来たけど渡した時は、縁を切ってね!と伝えた。
どうせ、何にもなかったような顔をして寄ってくるんだけれども、1枚ずつ千円札を拾わせても拾うくらい、もらう気満々なので、こちらが根負けするのは仕方がない。
そんな、親に育てられているのがコンプレックスに思うこともあったが、ある人に、魂の年齢の違いを話してもらい、母親のほうが未熟なんだと知った日から、自分がこれを選んできたんだ。ここで学ぶんだ。と少しずつ思えるようになってきた。

30代後半、両親は急におじいちゃんおばあちゃんになり、あとどれくらいかな?ってなってきていた。両親も長く生きたい人ではなかったし、長く生きさせるのが可愛そうだと思うくらいだった。
早く死にたい。と、父は50代でいつも言っていたし、母も長生きなんてするもんじゃない!とはなしていた。
父が、何度か病院にお世話になることが増えてきて、そろそろの頃

「葬式は誰呼ぶ?」
と聞いた時、
「誰も呼ばんでいい!」
「兄弟とかも?」
「いらん。誰もいらん。」
コレを聞いた時、もう寂しすぎるけど、威張って、人を見下して、酷い物言いをしたら、ホントに駄目だな。と学ばせてもらった。
「俺はなんのために産まれてきたのか?と思う」
とも、最後に話していた。
「学びじゃない?」とは言えなかったけど、
「私をこの世に誕生させる為だね。」
と伝えて、病院を後にした。
父は、動けない身体を起こして、私と兄をお見送りしようとベットからおきた。兄が、
「良いよ」
と言ったが、私は、もう最後だからお見送りだよ。うちらが見送られるのも逆なきはするけど、見送りたくなっつたんだからいいんじゃない?


これが、父と合う最後になった。
その後、2ヶ月後に母も他界し、なんともサッツパリとお空に行った。

母も、そろそろと分かっていたらしく、遺書を書いていた。
まさかの、
「幸せだった。」
という内容だった。
残されたものの事を考えれるのか?
愚痴と泣き言と嫌味しか話さなかったのに、振り返って全ては上手く行っていたと思えたのかな?
など、親も人で、苦しみを抱えながらも必死に生きたんだと、周りの意見を聞くしか無い時代に、社会通念という同調圧力に負けて生きてはいけないと学んだ。

父は、我慢から心を闇にし、頑固で真面目に生きて死に際に後悔し、
母は、変わり者で、自分本位で、周りに白い目で見られることもあったが、幸せだと言い放った。

介護もなく、アッツサリとこの世を去るなんて、風の時代に入る前のことだった。土の時代を生きると決めてきたんだな〜と感じたし、終わりはシンプルに人生の正解を紐解いて亡くなっていった。

私達 兄妹は、なんて良い両親から産まれてきたのだろう。と感じている。

人生をかけて学びをありがとう!

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