ひろしま
私は広島に生まれ、広島で育った。
今は大阪の大学に通っている。
最近、ヒロシマが授業で取り上げられることが多い。
ものすごく苦しくなって、泣きたくなる感情が込み上げてくる。広島にいたころはこんなに強く感じることはなかったのに。
広島でみるヒロシマは、いつも大概同じ視点だ。キノコ雲の下、生き延びた人々の1945年8月6日。ヒバクシャの視点。
でも、こちらに出てきてから、太平洋戦争の動向や科学者と核の関わり、朝鮮と広島等あまり触れたことがない視点からヒロシマを見る機会が多かった。
知らなかったことが沢山あって悔しかった。
それから、周りの人が興味なさげで悔しかった。
沖縄出身の子が、「友人らは隣にいる友人(私)の故郷を観光地として捉えていて、基地問題のことなどまるでないかのようだ、それが悲しいし悔しい」と書いていたのを、
こういうことかと納得した
思ってた以上に、広島で育ったことは私の形成に大きな影響をあたえている。
もっとちゃんとヒロシマと向き合おうと思った。
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