見出し画像

たことみやぞんの話

みやぞんの言葉

長男たこ・長女ぴこ・次女ちぃは、絶賛不登校・不安定登校中だ。

唐突だが、母はみやぞんのファンだ。
「誰も傷つけないお笑いを目指してANZEN漫才とコンビ名を付けた」という発言に、すでにハートを掴まれていた。

母は、長男たこに、『是非ともみやぞんのように育って頂きたい!!』と長期に渡り、具体的には5、6年、願い続けていたように記憶している。

たこもみやぞんの事は好きなようだが、「この人のようになりたい!」とか、「かっこいい!すてき!」というような憧れとは別枠で捉えているようだった。

たこは、とても寡黙な少年だ。ほとんどしゃべらない。全ての感情を表情と首の角度で表現するような、そんな子だ。みやぞんと全然違う。
母がどう働きかければ、この子はみやぞんのようにチャレンジ精神溢れる、キラッキラの少年になるだろうか、と考えていた。

母は、みやぞんのメンタルの秘密を探るべく、世界の果てまでイッテQを毎週、研究課題として真剣に視聴していた。
家族は単純に世界ロケやチャレンジ企画を楽しみにしていた。

明日から憂鬱な月曜日が始まるけれど、そんな重たい感情は、イッテQを見た後に抱えても十分に間に合う。日曜の20時から21時は楽しむんだ!!それが家族の暗黙の了解だった。

その日のイッテQは、みやぞんが険しい山道を登って、虹だか、滝だかを見に行くロケだったと思う。カメラマンやスタッフが山道のあまりの険しさに弱音を吐きたい、というシーンで、スタッフのペースを乱したのが、みやぞんのタフさだ。という場面だった。

その険しい山道にヘタるスタッフをわき目に、みやぞんのあの大名言が飛び出す。
『自分の機嫌は自分でとる!!』

母は雷に打たれたような衝撃を受けた。

スタッフだって、世界を旅慣れた大人だ。充分タフなはずだ。そして、そんなスタッフが弱音を吐きたくなるような山道。
みやぞんだって、疲れていない訳がなかった。みやぞんだって、タレントだって、同じ人間だ。超人や仙人じゃない。みやぞんだって、その山道はキツイと思っていたはずだ。

タレントの自分が弱音を吐いたら、チームの士気が落ちる。
人の事に構う余裕は無いが、自分の機嫌くらいは自分で管理する。
母の胸に深く深く突き刺さった。

我が子たちが不安定登校の頃だった。
毎朝「学校に行く」「学校に行かない」の重たい二者択一から始まる。

「学校に行く」を選択しても、母は落ち込んだ。子どもたちに覇気が全く無いのだもの。涙を浮かべてうなだれているのだもの。
「学校に行かない」を選択しても、もちろん落ち込んだ。このままで良いわけない。学習がまた遅れてしまう。今日も成長期の子どもが家で惰性的な時間を過ごす。

母は、毎朝、落ち込んだり、焦燥感を抱えたり、迷ったり、悩んだり…。兎にも角にも“憂鬱”だった。子どもたちに向かって、投げつけるようにため息をついていた。

「自分の機嫌は自分でとる。」
母はこの言葉を反芻した。
母の不機嫌で子どもたちを押し通して登校させてきた自覚がある。
自分で自分の機嫌をとる、なんて、そんな事を考えたこともない人生だった。
「あんたたちのせいで、私は怒ってる!!どうしてくれる!!」
ずっと、そう考えて生きてきた。 

でも違うんだ。自分の機嫌は自分でとるんだ。

そういえば、たこが、「お前のせいだ!!」と怒っていることろをあまり見たことがない。
もちろん「おれ、それ嫌だ。」とか、「おれは、やらない。」と断ったりとか、そんな場面は多く見る。
もちろん怒ったり、泣いたりもするけれど、感情を人にぶつけて、不機嫌の連鎖を引き起こす母のようなことをすることはあまりない。

たこは、いつもムシャクシャするとYouTubeを見たり、ゲームをしたりしながら、自分自身を整えていた。

おい、たこはみやぞんだったのか?

ママ友とみやぞん考察


あるとき母が、保育園時代のママ友とおしゃべりしていて、好きな芸能人の話になったことがある。

母は迷わず、みやぞんを挙げた。そして、たこにみやぞんのようになってほしいとずっと思っていることを告げた。

たこのキャラクターと、母のキャラクターを良く知っているママ友は、その発言を受けて爆笑した。
「たこちゃんがみやぞんになったら、そらぁたこちゃんが壊れて迷走しちゃってる時だな!!(笑)」

ママ友は母へのフォローも忘れない。

「いやぁ、へーちゃん(母のこと)の気持ちはわかるよ。へーちゃんは、熱い人だよ。たこちゃんにみやぞんを求めてしまうのも、へーちゃんらしいわ(笑)」

ママ友は読書が趣味で、読書しすぎて保育園の子のお迎えを忘れるような人だったので、考察する視野が広い。

「男子ってさ、私たち女性が思っているよりも、『母親を偶像化』してると思うんだ。母親崇拝っていうかさ。女な子は自分も母親になるからさ、気が付くんだよね、母親は神じゃないって。でも男の子はずっと、母親の偶像化が崩れない。」

なるほど、夫を見ていても感じる部分はあるかも、と少し思う。ママ友は更に続けた。

「男の子は、女の子より、『母の思いに応えたい』ってずっと思ってるよね。たこちゃんはさ、へーちゃんの思いもきっと感じてるよ。
たこちゃんは、自分のキャラと、母の求めるみやぞん像の中で、悶えるんだろうね(笑)」

ママ友の言葉を受けて、母は、たこをみやぞんに寄せようとするのはやめよう、と思った。たこはたこだな、と。

母が熱いのには自覚があった。熱しやすく冷めやすい、というか。私は熱しやすいおまけに、影響も受けやすい。今、間違いなくみやぞん熱に感染している。

名言とかも大好きだ。一時期スティーブジョブズの真似をして、洗面台の鏡に、「明日死ぬとしても、君は今日それをやるのかい?」と英語でポスカで、書いていた。家族の誰も読めなかった。

結論、みやぞんが素敵なことは変わらないが、我が子にみやぞんを押し付けるのはやめよう。私が好きなら、それでいい。

みやぞんはみやぞん。たこはたこだ。

自分への教訓

  • 自分の機嫌は自分でとる。

  • みやぞんも良いけど、たこも良い。



学校で生きずらさを抱える子どもたちのために何ができるのか。 たこ・ぴこ・ちぃだけではなく、不登校児の安心できる居場所づくりの資金にしたいと考えています。