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真実への目を開く

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私たちが本当に真理を手にしたいと願う時、真実を見ることのできる心の訓練が必要になります。統合への道を進みたい人のための記事です。有料にすることも考えていますが、今のところ無料で公… もっと読む
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記事一覧

毒親を赦すことで起こること

親からの支配を受けて育った もう、感覚的には、遙かかなた昔のように思えて、鮮明には思い出せないのだけれど(事実、真理の視点から見るとそんな出来事ははじめから起こっていなかったのだけれど)、私は大好きな両親から精神的な虐待を受けていた。  時にはしつけと称して暴力的指導もあったし、日々行われる嫌みも横行していた。もともと薄かった親との愛着は、小学校2年生辺りで完全になくなり、そこからは、過度なしつけと、過干渉、支配とコントロール、抑圧、が主に親から受けるものだった。小さな頃か

神のように全能になりたい願望

エゴの見せる夢つくづく、面白いなあと思う。 先日、ある映画を観た。薬を飲むと脳の回転能力が異常にアップし、ひらめきや思考力、情報処理能力、問題解決能力が急激に上昇し、これまで見えなかったものを見、浮浪者のような生活から一転、上り詰めるといったストーリーだ。単純に見えていた世界は、細部まで感知し、察知できる。傾向を理解し、次に起こることも理解できる。そのスピードのある映像に最初はクラクラしたが、そのうち、主人公が思うように世界を動かすストーリーに、何だか興奮するような、ワクワ

分離の選択をする時、私たちはエゴのトリックにはまっている

様々な選択肢私たちはいつもさまざまな選択肢から何かを選んでいる。葛藤が起こる時は、必ず目の前に選択肢がある。選択肢が1つなら、物事はなんでもスムーズに運ぶけれど、そうはいかない事情が出てきたりする。 今晩の晩ご飯をラーメンにするか、カツ丼にするかという選択肢なら、深刻に考えず気分によって選んだり、明日はもう一方の選択肢を選んだりして納得することだってできるけれど、私たちが葛藤することは「こうしたい」・「でもそうできない自分がいる」とか「こうしたほうがいい」・「でもそうはでき

結末ありきのあなたのストーリー

ドラマの結末までの緊張ドラマを見ているとき、その内容が佳境に入ったり、緊張感漂う展開の折に、つい、こっそりレビューやネタバレ記事を見てしまうことがある。「このドキドキこそが面白いのに何やってんだ」とたくさんの人から笑われてしまいそうだけれど、2~3時間で必ずラストが来る映画ならともかく、何十話もあるような連続のドラマだと、真に迫った緊張感にハラハラするのに疲れてしまったりするのだ。どうぞ根性なしと呆れてください。 レビューや記事で分かるラストなんて概要だけだし、私としては、

もう悪夢を見る必要はない

悪夢との長い付き合い私たちは長い間悪夢を見ている。 怖かった記憶や、緊張した体験、不安や嫉妬、自分へのダメ出し、怒りや恨み、孤独にさいなまれたり、人からどう見られるのかに怯えたり。感じないように努力していても、そうした記憶は小さな刺激でふっと私たちを占領してしまうし、「よりにもよってこの人と?」 という感じで、自分が否定したものを体現したような人が目の前に現れたりする。私たちがそこに反応してしまうのは、もちろん、自分自身の中にその種があるからだ。 そんなことを言うと、今度

子どもの目は真理に開かれている

最近嬉しかったこと「『わたしのたからもの』っていう作文を書いてね、『わたしのたからものは、家ぞくです』って書いたの」と、眠る前の布団から、子どもが顔をのぞかせて、うふふと笑い、それから抱きついてきた。「そうなのねー、お母さんも家族が宝物だなあ~」などと、もらい笑いしながらぎゅっとした。そういえば、他の兄弟も全く同じ内容の話を教えてくれたことがあったなあ。子ども全員から同じ内容の宝物の話を聞けるなんて、私はしあわせなお母さんだ。 いつだったか、「お母さん、お友達でね、『家族が

私たちに世界は変えられない

世界がより良くなるようにと願う心ずっと以前は、世界がもっとよくなるといいなと思っていた。もしも自分が、世界がよりよくなる一端を担えたりできるというなら、それは嬉しいことだと考えていた。戦争がなくなり、飢餓や暴力や貧困がなくなればいいと心から願っていた。差別や抑圧や搾取、孤立や自殺からいじめ、それから災害まで、世界にはなくなればいいと思うものがたくさんあった。 友人は世界をよりよくするために活動を長年続けている。署名運動をしたり、よりよくしてくれそうな政治家の活動を応援したり

あなたを罰してるのはあなた

罪悪感がすべての原因ずっとずっと昔。「【罪悪感】がすべての原因なんだよ」とある人から聞いたが、私はその後、他のさまざまな理論や原理について学んでいく機会を得ていたので、そのことにずっと注目し続けたりはしなかった。 だって、そうでしょう? 罪悪感? そりゃ良くないでしょうよ。罪悪感と聞いて、暗いイメージを持たない人なんていないだろうし、それが根源と言われたら、まあ誰だって、ちょっとくらい持っているだろうと簡単に想像できる。 だけど、今、私は思う。【罪悪感】こそがすべての原因

『ビューティフル・マインド』の中のエゴと愛

『ビューティフル・マインド』久しぶりに映画を見てたくさん泣いた。『ビューティフル・マインド』を久々に見たのだ。この映画は2001年の映画で、昔に確か観たことがあると思ったが、ストーリーを全然覚えていなかった。 あなたは『ビューティフル・マインド』を観たことがあるだろうか? 昔の映画なので、観た人が多い前提での話になっていて、観たことがない方はネタバレになるので、ご注意ください。 幻覚への恐怖と現実へのチューニングこの映画を観ているうちに、「私が長年恐れていたことは、これだ

一人であることが怖くなくなった話

誰かに関心を持ってもらうことが生き残る秘訣だった自分という人間が、誰からも見向きもされず、忘れられたり、無視されたり、のけ者にされることは、自分の恐怖だった。そんな恐れを持ったのはいつの頃だったのだろう。きっと最初はその注目して欲しい誰かは親であり、それは生き残るために必要な獲得すべき関心だったのだろうと思う。 成長と共に、私たちが関心を向けて欲しい相手は親だけではなくなっていく。友人だったり、関心のある人だったり、時にはもう誰でもいいから、自分に優しい言葉をくれないかとさ

愛を語ること

こそばゆい《愛》について科学の分野では、《生命体》という言葉は良くても、《魂》という言葉は使えないそうだ。その言葉を使った人の論文は一気に相手にされなくなるという。《愛》という言葉だって、きっと使えないのだろう。どんな分野にも共通言語があって、「この言葉はこういう意味だ」という前提を共有していると、話はスムーズに進む。その共通言語にどれを選ぶかは、自然に淘汰されるし、時代だったり、背景によっても違うけれど、でも、その分野ごとの特徴があるなあと思う。 私たちの中にある、《愛》

他人への扱い方は自分への扱い

他人への批判かつて、私は他人に厳しかった。対外的にはいい人を装っていたが、内心はシビアな感想をいつも持っていた。「それって、こうだからじゃないの?」「そんなこと言っても実際にはできないよね」「いい人に見られたいのね」「中身は子どもだなあ」「もっと考えないとね」。その人には決して言うことはなかったが、仲間と思われる人には「ここだけの話」と言って、愚痴ったりした。 「ここだけの話」をやめようと思ったある出来事きっかけは、ある人からの辛辣な連絡だった。仲良くしていた人から、唐突に

自分が特別だと思うために、私たちはエゴの声を聴く

特別であることは私たちの願いエゴとは、自我のこと。自分を認識する意識だとも言える。私たちの中に愛の意識があるとすれば《愛》は存在同士をつなげ、対して《エゴ》は私たちを分離へ導く。なぜなら、エゴは私たちを個として認識したいからだ。 私たちの中には、認めている人も認めたくない人もいるが、「自分が特別だ」と認められたい意識がある。不思議なことに、自分個人で認めるだけでは納得できず、他者からもそれを認めてもらいたい気持ちが湧いてきて、それは貪欲に、認められても認められても、もっと認

奇跡は決して特別ではない

派手で信じられないことに引きつけられてしまうみんな、奇跡が好きだな~と思う。不思議なことや、霊能力や、幽霊や生まれ変わりやツインソウルや、都市伝説や宇宙人や、みんな結構好きだ。アンチの人も、関心があるから反応しているだけだ。もちろん、不思議な話の中には、私も実感として本当だと思うこともあるし、証明できないけれどそれは真実だろうと考えていることもある。でも、みんな真実を通り過ぎてなぜか行き過ぎちゃう。 どうして奇跡を求めてしまうのかというと、そうした目に見えないことがなかなか