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神のように全能になりたい願望

エゴの見せる夢

つくづく、面白いなあと思う。

先日、ある映画を観た。薬を飲むと脳の回転能力が異常にアップし、ひらめきや思考力、情報処理能力、問題解決能力が急激に上昇し、これまで見えなかったものを見、浮浪者のような生活から一転、上り詰めるといったストーリーだ。単純に見えていた世界は、細部まで感知し、察知できる。傾向を理解し、次に起こることも理解できる。そのスピードのある映像に最初はクラクラしたが、そのうち、主人公が思うように世界を動かすストーリーに、何だか興奮するような、ワクワク感を感じる自分がいた。そして一方で、これこそが、エゴが私たちにチラつかせ、餌にしている幻想なのだなと観察していた。

私がなぜ、ワクワクしたか。これが現実に自分に起こったら、なんて面白そうだろうと思ったからだろうと思う。自分の思い通りになり、自分だけが特別で、人を出し抜ける。富を手にし、能力があって賞賛され、焦りや不安とは無縁で、大胆で全能な存在。「それを本当に体験できたら、世界は面白そうじゃないか!」と思う私が、私の中に確実にいた。私は、自分の中の一部がそう思っていることを認識しながら、「ああ、なるほど、これか…」などと思っていた。私たちは意識下で、こんな夢を見ているのだ。

「もっと、もっと!」と望んだ先

私たちが奥底で望むそんな夢は、現実には実現しない。もし科学的に実現したとしても、また私たちは「もっと、もっと!」と望むことだろう。実際、主人公は最初は戸惑うものの、その全能感が忘れられず、薬を求め、元々あった小さな自分の夢よりももっと儲かる方法へ突き進み、薬を多飲するようになる。それはまさに、中毒のように。叶っても叶っても、…足りない。

いつしか、元の自分がどんな存在だったか、思い出せなくなったり、以前のあなたの方がずっと良かったと言われたりする。でも、ひとたびその蜜の味を知ってしまったら、以前の自分に自分から戻る選択肢はない。もう、行き着く先まで行ってしまうしかないのだ。

破滅がストップをかける

もっと面白いことは、こうしたエゴの夢が叶って、過剰にも「もっと、もっと!」が重なると、決まって〈ストップをかけられること〉も同時に裏で進行していくことだ。現実的にも、社会で起こる中毒と呼ばれる症状に悩まされる人は、程度を進めるにつれて、経済的な問題や深刻な健康被害、事件性や死とも親密になってしまう。

エゴは、私たちが〈個々に独り立ちして神のように特別な存在となれる〉ことを夢見させて、それを常に煽る。さらなる夢をささやき、「もっと、もっと!」と求めるように仕向ける。

その一方で、私たちが肉体なのだと錯覚させて、〈傷つくことが可能な存在である〉ことを思い知らせようとする。私たちは、身体を人質に取られているようなものだ。傷つくことや死への恐れは、〈飴と鞭〉における鞭の作用となっていて、エゴはそれを使って私たちを躾け、支配する。

飴と鞭を使ったエゴのコントロール

私たちは、まんまとその楽しそうな夢に引っかかり、それを実現させようとして、人生や肉体を使い、疲弊する。それが成功しようがしまいが、死という身の破滅は、エゴによって用意されているし、いつも、やがてくるだろう恐怖に常に怯えさせられている。エゴのストーリーにはどこにも、平安や解脱はない。一時的な興奮や比較、苦悩、判断といった、明暗が分かれるような体験のどちらかしか用意されていないのだ。エゴの世界は、完全に2極化した、2元的世界だ。

社会を見渡してみると、使用するものは違っても、同じことがどこにでも起こっている。お酒、ドラッグ、ゲーム、金儲け、戦争、喫煙、甘いもの、ネット… この中に当てはまらなくても、はまってなかなか抜けられないものは多い。例えば、筋トレも一見健康に良さそうだけれど、中毒化して結局身体的にも生活的にも、不自由になる人だっている。使用して全能感を感じられるものは中毒性がさらに高いように思うけれど、それは納得できる。あまりにも落差が激しいと、私たちの「もっと、もっと!」は加速されるからだ。

真理においては、人生も、身体も、エゴの見せる夢だといわれている。私たちはこのステージで、〈特別で、誰よりも能力のある存在になる夢〉を繰り返して見て、それが叶わず、苦悩を続けているのだと。エゴの世界では、死は私たちの身体に100%訪れる設定だ。だから残念ながら、この世界で私たちの夢は100%叶うことなどないし、〈成功か失敗か〉というルール設定の世界に、平安は存在しない。

この人生をどう使うか

この2元的世界からいち早く抜け出すために、この人生を使ってできることは必ずある。エゴを理解し、そこに惑わされず、本来の自分という存在を思い出していくことだ。この狂気に満ちた世界を赦し、帰り道を急ぐことだ。

私は、この自分の人生を、帰り道を急ぐためにしっかりと使えたらと願っている。あなたはどうだろうか。あなたがどんな存在でも、どんな体験をしてきたとしても、本当に真実を求め、この狂った世界から脱出したいと願うなら、求め、探してみるといいと思う。あなたのこれまでの体験は、きっと役に立ってくれる。心を開いて、真理を求めるといいと思う。私が真理への近道に出会ったみたいに、本物に出会ったら、きっとそれと分かるはずだし、そのためにも、あなたのアンテナを磨いていくといい。あなたに準備ができていたら、平安への道は必ず開かれているはずだ。



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