見出し画像

子どもの目は真理に開かれている

最近嬉しかったこと

「『わたしのたからもの』っていう作文を書いてね、『わたしのたからものは、家ぞくです』って書いたの」と、眠る前の布団から、子どもが顔をのぞかせて、うふふと笑い、それから抱きついてきた。「そうなのねー、お母さんも家族が宝物だなあ~」などと、もらい笑いしながらぎゅっとした。そういえば、他の兄弟も全く同じ内容の話を教えてくれたことがあったなあ。子ども全員から同じ内容の宝物の話を聞けるなんて、私はしあわせなお母さんだ。

いつだったか、「お母さん、お友達でね、『家族が嫌い』って言う子がいるの。そんなことってあるの?」とまじまじと聞かれたこともあった。私もまじまじと子どもを見つめた。それから、口には出さなかったけれど、「あなたってしあわせねえ」と思った。私が彼女の年齢のとき、もうすでに世界は私に冷たかった。世界には素直に心を通じ合わせられる人はいなかった。子どもたちが私と同じ体験をしていないなら、それはとても良かった。

私の取り組みのおかげでもあるよね、などと一人で悦に入りながらも、たくさんの手を貸してくれた人たちの顔が浮かぶ。今思えば、恩恵となってくれたたくさんの人。神様はいろんな形で、私にちゃんと愛を注いでくれていたのだと今なら思える。あの体験は私に必要だったことだったのだろう。あのきつかった時期がなければ、私はこの道を絶対に選んでいなかった。

子どものまっすぐな心

きつかった10代後半、そしてここまで、私は学ぶ分野を方向転換して、心の分野に興味を持った。それは人のため、というより、完全に私のための勉強だった。わりとバラエティに富んだ視点から学べたけれど、夫からしたら、〈自分の人生に使える話〉というより、〈妻の仕事の話〉になるのか、あまり具体的に分かち合ってはこなかった。こちらからしたら、同業者じゃないからこそ、助かった部分も多かった。

最近、彼の興味の変化があったので、「これは私がこれまで学んだことをようやく夫に役立てるチャンスなのかも」と思い、丁寧に話し始めたが、話した時間が悪かったのか、聞きながら彼はうとうとし始めた(笑)。…どうやら彼には余計なことだったようだ。「いや、失礼いたしました」と思い、そっとその場を離れたが、だんだん笑えてきた。彼のこういう脳天気さに、これまでずいぶん救われてきたのだった。

ところが、丁寧にどころか、「あのね、どうせ世界は幻想なんだから、そんなに気にしなくていいのよ~」なんて、適当に打った相づちを子どもが覚えていたようで、だいぶん後になって「お母さん、世界って、幻想なの?」と聞いてきた。これにはこっちがたじろいだ。人生これからという子どもに「この世界は幻想だ」なんて、本当に教えていいのだろうか。うちではラブシーンに大人は慌てないが、これには慌てた。まったくの準備不足だった。

結局は今回、私は言葉を濁して、ちょっと時間の猶予をもらった。彼らにはぜひ伝えたいことではあるけれど、彼らの年齢や性格、状況によって、それぞれにベストタイミングがある気がしたし、こちらもその時に話せるように、もう少し学んでおきたい。

この質問をしてきた子は、比較的こだわりのある霊性の強い子どもだったので、「やっぱりこの子のアンテナに引っかかって、ちゃんと覚えているのか-」と内心こっそり思った。きっと、夫のように、丁寧に話しても「へー」「ふうん」で終わる子どももきっといるだろう。それもいい。どんな選択でもかまわないなあと思う。でも、真理に根付いて生きている大人がいることは、きっといつか役に立つということだけ分かっている。

大人ができること

子どもたちが生きている世界は、時間の経過と共に、外に向かって開かれていて、親が知ることのできない世界をどんどん広げていっている。彼らに、親から学んだものをその通りに実行させるなんてことは、到底不可能だ。親との蜜月の時期は終わったので、むしろ、視野を広げて、世界にはいろんなルールや、いろんな人や、いろんな価値観や、いろんな可能性があることを学んでもらえたらと願っている。

親ができることはそこまでの、ある意味、密室での愛着を主体とした時間だと思う。彼らは親から学んだことを礎(いしずえ)にして、外の世界に触れる。礎とは名ばかりで、実は叩き台になるのだ。可能性を感じたり、高揚感を感じたり、自由を手にしながらも、打ちひしがれ、落ち込んで帰ってくる。時には素朴な疑問を持って帰ってくることもある。

子どもは意外に(失礼!)賢くて、「外の世界のルールはどうやらこうなっている」ということを、ちゃんと受け入れ、それなりに理解できる。それぞれの世界での自分を使い分け、家に帰ると鎧を脱ぐように脱ぎ捨てる。そこに親が必要な時期は段々と減ってくるけれど、やっぱり役割はあるみたいだ。

私は子どもの存在を心から愛でる。子どもが何の制限もなく、愛を求め、そして傷つく心配なく愛を差し出せるように。私が心がけていたことはそれだけだったけれど、その関係を維持するためにも、小さな頃からの関係がかなり大事だと実感している。これから子育てという親たちには、ぜひ、自分の愛について、真理について学ぶチャンスがあることを心から願う。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?