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結末ありきのあなたのストーリー

ドラマの結末までの緊張

ドラマを見ているとき、その内容が佳境に入ったり、緊張感漂う展開の折に、つい、こっそりレビューやネタバレ記事を見てしまうことがある。「このドキドキこそが面白いのに何やってんだ」とたくさんの人から笑われてしまいそうだけれど、2~3時間で必ずラストが来る映画ならともかく、何十話もあるような連続のドラマだと、真に迫った緊張感にハラハラするのに疲れてしまったりするのだ。どうぞ根性なしと呆れてください。

レビューや記事で分かるラストなんて概要だけだし、私としては、詳しいディテールは本編で楽しむとして、ラストが白か黒かをとりあえず知りたいので、軽く目を通す感じで読む。「なるほど、最終的にはなんとなく、こういう方向へ行くわけね」などと納得すると、その心づもりありで、リラックスしてその内容を楽しめたりする。

こういうことって、個人的な趣向なのだけれど(笑)、でも、私たちでもこの現実世界というドラマで、同じことやっているなと、ふと思ったのだ。

一喜一憂が好きな私たち

私たちはドラマチックなことが好きだ。二転三転する内容に、いちいちドキドキしたり、ホッとしたりする。どんなドラマが面白いんだろう。3つくらいパターンにしてみた。

パターン①:不安、恐怖、苦悩、嫉妬、ジレンマ、怒り、落ち込み、喜び、後悔…

「あれ、ほとんどしあわせ感なさそうじゃない? でも、合間のひとときの喜びにやたら拍手喝采したり、ジーンと感動したりするよね」

パターン②:別に、別に、まあまあ、大丈夫、恐れ、無視、別に、別に、別に…

「このパターンもよく見かけるぞ」

パターン③:楽しい、嬉しい、緊張、困難、内省、安心、信頼、しあわせ、リラックス…

「しあわせそうだけど、あんまりこのドラマは選んで見ないかな。単調でつまらなくない? 孤独にはまって落ち込んでいるときは、自分以外の世界中の人がこんな人に感じるけど、内情を知っている人の中には、実際にこんな風に生きている人なんていない」

「そうだね、眺めてみると、ドラマチックなのは①だよね。②の人は、何かを取り戻すと①に移行するんじゃないかな。その過程はドラマチックかもしれない。③は、いいけど、生きてる感動が薄そうで、つまらなさそうだな。やっぱ①かな」

こんなやりとりが、あなたの意識の下で行われているなんてことはないだろうか。そのやりとりは、きっとエゴが相手の会話だろう。その結果、あなたはまんまと口車に乗って、①のドラマを人生で上演することになる。一瞬のキラリとした喜びを輝かせるために、分離の苦悩を数多く体験し、ドキドキワクワクしているのだ。

困難がないと落ち着かない

まったく人のことを言えた義理はないが、よくもまあ、みんなそんな、ドMの道を進むものだなあと思う。八方ふさがりの状況を作り出したり、身体を壊してしまうくらいの罪の意識に苛まれていたり、恨みを長年握りしめていたり、自分をとことん悪者にしたり。運良くその問題が目の前からいなくなっても、また違う問題を自らライトアップしてしまう。問題は大小様々だけれど、私たちは〈困難〉と慣れ親しんだ仲間になっていて、むしろそれが側にないとなんだか心許ない。

日本の世界幸福度ランキングは過去最低の58位になったらしい。別に、しあわせは競争ではないからそれでもいいけど、でも、エゴ主催のドラマをきっとみんな見過ぎだよね。誰のためでもない、自分のためにしあわせをそろそろ選んでもいいと思う。一見すると刺激が無くて、つまらなそう見える、〈しあわせのドラマ〉。確かにドキドキは波瀾万丈のドラマより少ないし、慣れるまではなんだか物足りなく感じるけれど、平穏な豊かさがそこにはある。え? それとも、しあわせになれない感じがたまらないから、やっぱり引き続きドラマチックな道を楽しむことにする?

結末は決まっている

でも、ネタバレだけれど、結末は決まっている。①のドラマも、②のドラマも、③のドラマも、すべて結末はハッピーエンドになる…確実に。ただ、所要時間が違うかもしれない。結末が早く来るのは③のドラマだと思われる。①は③を経験する流れになるかな。②のドラマは、①を経由して③を経験する流れになるかもしれない。もちろん、いきなりハッピーエンドに飛び級する人もいる可能性もあるけれど、かなりのパワーが必要になると思う。どんなスピードで進むかは自分で決められる。あなたは人生で、どのコース、どのスピードを望む?

あーあ、もう結末は分かっちゃった。一喜一憂しても、どうせそこにいつかはたどり着く。

もちろん、これは別に根拠のない話ではない。ブッダは最後の一人が悟りを得るまで待っていると言われている。どんなペースであろうと、私たちはいつか行き着く。私たちは〈分け御霊〉と言われるけれど、本当にそうで、すべてがつながっているから、誰かがハッピーエンドで、誰かがバッドエンドということはあり得ないのだ。蛇の頭が頂上にたどり着いたら、ほどなくして、しっぽも頂上にたどり着く。

結末にたどり着きたくない気持ち

いつかは、必ずしあわせになる。みんな。この幻想の世界から、みんなが卒業できる。でも、それまではずっと、苦悩と一緒だ。

どうせしあわせにはなるけど、ハッピーエンドまでの時間を早めることもできるし、遅くすることもできる。遅くするには、答えはこの部屋にあると発見してしまっても、知らなかったふりをして、また答えを探す旅を続ければいいのだ。間違っても同じ道に来てはいけない。答えのありかにまた出くわしてしまうから。おお怖い。知ってしまったら、もう苦悩のせいにできなくなってしまう。

一喜一憂する意味がなくなっていく

ラストが分かったところで、日常は変わらないと思うかもしれないけれど、意外とそうでもない。最終の結末にあなたは責任を持たなくても良くなる。だから、きっと意識しなくてもリラックスできるはずだ。困難が目の前にあるとき、ついそれを忘れてしまうけれど、それを思い出せばいいのだ。これは、ハッピーエンドが保証されているドラマの中の〈ドキドキするオイシイところ〉なのだと。

逆に、エゴが喜ぶこと、例えば多数の異性からもてはやされたり、一位を獲ったり、大金を手に入れたり、相手を負かしたり…といったことも、盛大に喜ぶ必要もなくなる。だって、これも過ぎ去るのだから。

あなたのしあわせは誰かと比較して成り立つレベルのものではないのだ。概念的にいいとされているような出来事も、悪いとされている出来事も、体験という以上に意味なんてない。それが分かれば、一喜一憂することに意味がないと気がついていく。確かに盛り上がりには欠けるが、しあわせの多い道に入っていく。

リラックスするとできること

どうせしあわせになるのだから、もう前のめりであなたの人生の責任を取ろうとしなくていい。もう大丈夫だよ。あなたは見放されたりしないし、いつかは必ず、しあわせで本当に居心地の良いところで一体になれる。本当のことを言えば、あなたは今でもその状態なのだけれど、ただそこから意識が離れているだけなのだ。

私たちはいつも無意識にゴールのために動いている。ゴールが保証されているとしたら、日々を生きる選択は変わってくるはずだ。お金持ちにならなくても、美しくなくても、賢くなくても、健康でなくても、ありのままでしあわせになれるとしたら、どうせなら日々の選択を〈愛があるもの〉に変えれる余裕が出てくる。これが大きなヒントだ。

世界は壮大な循環からなっている。あなたが結末を知って、リラックスして生きることは、その循環を変えていく。










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