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僕は酒井くんのことが分からない

 人並み程度には恥の多い人生を送ってきたから、思い出したくない記憶というのが沢山ある。

 そして――きっと、これは誰でもそうだろうと思うのだけれど――困ったことに、そういう思い出ほど、ことあるごとに思い出してしまう。その度に、胸を刺されるような痛みと、申し訳なさと、それから、どうしようもなさみたいな感情を覚える。

 中でも、ここ最近、やたらと思い出すのは中学生の頃おなじクラスだった酒井くんのことだ。

 

 僕が通っていたのは、ベッドタウンの中にある公立中学校だった。

 治安は、まあ、良い方だったと思う。

 学級崩壊していて、授業がまともに行われていないだとかそういうこともなく、将来、それなりの大学を出て、それなりのところへ就職する人から、地元で何かしらの職に就く人まで、なだらかに分布していた、いわゆる普通の公立中学校だったと僕は記憶している(あくまで、僕にとっての”普通”の感覚だが)。

 クラスに数人は不良がいて、逆に数人は真面目クンがいて、その間の中間層が一番多く、けど、不良も真面目クンも極端にそうというわけではないので、浮いているという程でもない。

 で、酒井くんは不良側で、僕は真面目クン側だった。

 上に書いた通り、不良といったって、大したものでもないし、真面目クンも同じく、それなりという程度だった。

 酒井くんの不良っぷりは、こんなものだ。学校で禁止されている整髪ワックスをつけてきた髪型をしている(染髪も禁止だったが、それはしていない)。ボタンを開けたり、シャツをだらしなく外に出したり、服装が乱れている(制服の着こなしをしているだけ、ともいえる)。成績と授業態度が悪い。補習もサボる(学校自体をサボることはそんなにない)。それから、兄貴から分けてもらって、タバコを吸っている(と、吹聴していた。本当に吸っていたかは実際のところ知らない)。

 僕の真面目クンっぷりもそんなものだ。要は酒井くんとは逆で、染髪ワックスや制服の乱れた着こなしだったりをせず、成績は優秀で、授業態度も良かった、とその程度だ。

 今思えば、どちらも可愛らしいものだと感じる。

 世の中には教室のガラスが割れるなんて日常茶飯事、補導者が出ない月が珍しいという中学校もあるだろうし、逆に中学生の頃から清潔な環境での完璧な教育を施さないと気が済まないというエリート中学校もある。それらの中学校の中で過ごしている不良や真面目クンは、酒井くんや僕とはもう比べ物にならないだろう。

 しかし、当時の僕には、酒井くんの不良っぷりが我慢ならなかった。酒井くんも僕の真面目っぷりが我慢ならなかった。

 故に、僕らはよく対立した。

 学級委員だった僕は学内身だしなみキャンペーンみたいなものを生真面目に遂行し、酒井くんの制服の第一ボタンが外れていることや、シャツだしをしていることをいちいち注意したし、彼が授業中騒いでいれば、それを怒った。

 酒井くんはその注意に対して反発したし、何かあるたびに僕をからかった。しょうもない悪口を仲間内で共有しているというのも人づてに聞いた。

 お互いとも、相手がなんでそうなのかが一切分からなかったのだろう。

 僕は酒井くんが、どうして注意されると分かっているのに、服装を乱したり授業中騒いだりするのかさっぱり理解できなかったし、酒井くんも多分、僕がどうしてそんな細かいことにいちいち怒るのか意味不明だったのだと思う。

 その、お互いに対する分からなさが、ある日爆発した。

 僕にとって、余り思い出したくない記憶というのは、その日のことである。


 放課後の合唱コンクールの練習会でのことだった。

 普段はそんなものに出席していなかった酒井くんが、どうしてかこの日は来ていたのだ。僕は珍しいな、と思って彼の様子を横目で見ながら練習をした。

 最初の方は真面目に歌っていた。

 だが、十分、二十分と時間が経つにつれ、飽きてきたらしく、ふざけ始めた。明らかに悪ふざけと分かる高音で歌ったり、曲の最中におしゃべりをしたり、しまいには「もう帰ろうぜ」しか言わなくなった。

 僕は都度、細かい注意をしていたのだけれど、ある地点から彼に我慢ならなくなってしまい、詰め寄って「みんなの邪魔をするなら帰れよ」と言った。

 酒井くんは不貞腐れたように「別に邪魔しようとしているわけじゃねえよ」と返した。

 こちらもムッとしてしまい「いや、邪魔だよ。迷惑なんだよ」とそれに応じる。そのあと、余計な一言を付け足した。「いっつも、お前はそうだな」と。

 酒井くんは僕の胸ぐらを掴んだ。

「なんだよお前、勉強できるからって調子乗りやがって」

「あんなの勉強できるうちに入らねーよ。誰でも普通にやってりゃ、あんなテスト簡単だろ」

 彼が直接的な暴力を向けてきたのは初めてだったものだから、こっちの気持ちもたかぶってしまったのだ、と言い訳をしたい。僕はここでも、余計な言葉を付け加えた。

「どうやったらあんなんで補習受ける点数とるんだよ。小学生からやりなおせよ馬鹿」

 酒井くんは僕を殴った。

 ここで周りのクラスメイトたちがはっきり動き出して、酒井くんと僕を引き離す。なんだよ、と頬のあたりを撫でながら僕は酒井くんにまだ何かを言ってやろうと、彼の顔を見た。

 驚いたことに、彼は泣いていた。

 それから涙交じりに酒井くんは「俺だって、俺だって必死になあ」みたいなことを言って、周りの皆を振り払って、外へ出ていった。

 その日以降、酒井くんは放課後の学外活動みたいなものには一切、顔を出さなくなった。学校に来る頻度もちょっと減って、最後の方は先生が無理矢理こさせるようにして、それで、卒業をした。


 当時の僕からしたら、はっきり言って、意味が分からなかった。

 何が「俺だって必死に」なんだろうか。

 僕は、中学校で習うことなんて、授業さえ聞いていれば馬鹿でも理解できるものと信じて疑っていなかった。色んなことに対する態度だって、退屈でもちょっと我慢すれば良いことで、それで先生であったり周りのクラスメイトに怒られたりするなんてむしろ損じゃないか、なんでわざわざするんだ、と思っていた。

 酒井くんの涙の意味は、何も分からなかった。

 ただの屑の戯言、として片づけた。


 この思い出に、恥ずかしさを覚えだしたのは高校生になってからだった。

 酒井くんと同じかどうかは分からないが「やろうとしているのにできない」という時が、僕にもきたのだ。

 僕は中学を出て、進学校といわれている高校へ進学した。

 そこは、しっかりと勉強ができる生真面目な生徒が集まる学校で、彼らの中だと僕は成績的に落ちこぼれ側になった。

 しっかりと授業を聞いた後、復習したりすれば、多分わかる。けど、それが中々できず、ずるずる成績が下がっていく。ちょっとやっても、追いつけない。

 それを親に指摘された時、僕の口からもあの言葉が出た。――「僕だって必死にやっているつもりなんだけど」


 そうなって、初めて、思い至ったのだ。

 酒井くんの「俺だって必死に」というのは、本当に、彼なりに必死に色んなことをやろうとしていたけど、できなかったということじゃないか。けど、できなかった。

 どうしてできなかったのかについてまでは、勿論、分からない。

 僕の勉学に対する姿勢みたいに、どうにもやる気が湧かなくて気が付けば手遅れのところにいた、というだけかもしれない。

 勉強をしようとしても、服装や態度をちゃんとしようとしても、今までつるんできた仲間たちや兄弟がそれを許さないという環境にいたからかもしれない。

 他の理由もあったかもしれないし、複合的なものがあったかもしれない。

 ともかく、酒井くんは「できなかった」のだ。「必死に」やろうとしたけれど。

 そう考えて、急に、あの時のことが恥ずかしくなってきた。

 たとえば、彼が珍しく合唱コンクールの練習に来たのは、「たまにはちゃんとやろう」「これからはしっかり参加しよう」という考えの発露だったかもしれないじゃないか。僕はそれを潰したのかもしれない(勿論、そんな想いなんて何もなく、半分遊びに来ただけかもしれない)。

 酒井くんが必死にやろうとしても届かなかった、できなかったのが勉強だとすれば僕の「どうやったらあんなんで補習受ける点数とるんだよ」という言葉は、コンプレックスをいじくる発言に他ならない。

 なんて勝手なことを、なんてひどいことを、と一気に後悔した。


 このことを、僕は事あるごとに思い出す。

 たとえば、公立中学校に行かせるのはこどもの人生を潰す行為という発言をみたときや、MARCH以下の大学に入るやつはどうやったらそうなるのという言葉をみるとき、「良い大学に入って、私は底辺環境から抜け出せた!」という成功談を読むとき……最近だと『ケーキの切れない非行少年たち』関連の話題がそうだ(酒井くんは、別に逮捕はされてないが)。

 ただ、時々思う。

 僕は多分、まだ酒井くんのことを分かってはいないだろうな、と。

 上で言った、彼の「できなかった」が仕方ないものだった、というのも、僕の勝手な想像だ。彼が泣いたのは格下に見ていた真面目クンからクラスメイトの前で侮辱されたからってだけかもしれないし、必死に、というのはその場での口喧嘩の方便かもしれない。

 酒井くんが「できない」というのも僕の思い込みで、もしかしたら彼は中学校では勉強できないと装っていたが、高校以降は優等生になっているかもしれない。

 それでも、後悔していて、恥じている。

 それは、彼のことを分かってやろうなんて、僕は一切、考えたことがなかったということについて、恥じている。


 今の僕と酒井くんが再会しても、多分、仲良くはなれないだろうし、仲良くしようとも思わない。

 ただ、それでも、あの頃よりは「こいつのことを分かってやろう」と思えるような気はする。少なくとも暴言は吐かないだろう。少なくとも、中学校の頃の僕よりは、マシな視線だろう。

 そう思いたい。

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