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軽やかな炎/雨宮まみさんの思い出

ある人は雨宮まみさんのことを「東京が歩いてくる」と言った。

軽やかな炎のような、水の中をスイスイと泳ぐ金魚のような、雨宮まみさんの第一印象はそんな人だった。

少年アヤさんの『焦心日記』のトークショーで見た雨宮まみさんは、真っ赤なワンピースを着ていて、嬉しそうにアヤさんの本を持っていた。

サインなんていつでももらえるはずなのに、少女のような気恥ずかしさと、悪戯っ子のようなユーモアと、だけどそれら全てが大人の楽しみとして持てる人が軽やかな炎のような色のワンピースを着て歩いていた。

「あれは…雨宮まみさん…!」と思ったのだった。

その、軽快さ、優雅さ、洒脱さ…、炎のような、金魚のような、美しい業を持つ人だった。

雨宮まみさんからフォローされたのはいつだっただろう?

私はその通知欄を見た瞬間に、心の中でスキップして、足と足を宙に浮かせて、拍手したいくらい、嬉しくて、嬉しくて、…恋のようだった。

恋よりも尚、かもしれない。

雨宮さんは抜け目のない人だった。

私が書いた雨宮さんの本やコラムの感想は必ずふぁぼがつき(ここはふぁぼと言わせて)、そして新しく買ったサンダルにふぁぼがつき、チャールズ&キースの靴を買いに行きたいと言えば「可愛いですよね!」とコメントをくれた。

そして、私のブランド白いシャツの店レタルの追憶のブラウスの画像にもいいねがついていた。

なんと抜け目がない人だろう。

追憶のブラウスは雨宮さんによく似合うだろうな」と思った。

私の全くの私情による一存で、レタルのシャツをあげた方が二人いる。

少年アヤさんと雨宮まみさんだ。

お二人にあげたいと思ったのは、お二人共コンプレックスと闘い、コンプレックスと戦う鎧として服を着ているような気がしたからだ。

美しい鎧としてレタルのシャツを着て欲しいと思った。

少年アヤさんと雨宮まみさんという大好きなお二人が手塚治虫の『ユニコ』について語るトークショーがあり、そこに聴きに行った。

そのイベントは、終わったあとにお二人と話す時間があった。

私はレタルのシャツを着て、名刺を持ち、お二人それぞれにご挨拶した。

そのときは既に、アヤさんには空も飛べるシャツを差し上げていた。

アヤさんは私を見るなり、嬉しそうに、少し恥ずかしそうにお礼をしてくれた。

そして、次は雨宮さんにご挨拶をした。

「雨宮さんにも…シャツをプレゼントしたいです…!」

「え!楽しみです!嬉しい!」と言っていた。

赤いワンピースを着ていたときより、さらに大人の女性として、深く美しくなられていて、「これは必ず送らないといけない」と心に誓った。

そして、ちゃんと雨宮さんに無事追憶のブラウスを届けることができた。

別に着てくれなくても、パジャマにされてもいいと思っていた。

だって勝手に差し上げたんだから。

そんな私の想いを200%超えて、雨宮さんは完璧な着こなしで、何一つ隙のない文章で、Instagramに投稿してくれた。

梱包の写真まで。

なんて素敵で、なんて抜け目のない方だろうと思った。

そして丁寧にTwitterのDMで「写真をアップするのが遅くなってごめんなさい。」と連絡があった。

遅いと言ってもたかだか数日だった。

私だったら半年後であっただろう。

そして、勝手に送りつけただけの私にわざわざご連絡を下さって、大変恐縮した。

その後の返信は夜中4時に来ていた。

「展示会にも遊びに行きたいです」とコメントを頂いて、私はとっても嬉しかった。

もし、展示会で会えたら、あの本のこと、あの服のこと、沢山話してみたいと思っていた。

その頃私は真鶴のアートフェスティバルの準備に追われていた。

真鶴に向かう途中にTwitterを開いたら「雨宮まみさん亡くなった?」というツイートを見た。

全く信じられなかった。

だって私は数日前にDMでやりとりしたのだ。

見る見るうちにTLは雨宮さんの訃報で埋められた。

嘘だと思いたかったけど、嘘をつくようなことを許されないような報道機関までもが雨宮さんの訃報を報じた。

もう、逃げることが出来ないと思った。

嘘ではなく、真実なのだと。

たまたまとても天気のいい真鶴という美しい街で、しかもとても仲のよい友人に囲まれているタイミングで良かった。

一人で部屋にいたら、おかしくなっていたかもしれない。

だけど、その真鶴からの帰り道に、友人と別れ、一人電車に乗り、駅の改札を通る瞬間に号泣した。

「どうして、どうして?」と何度も思った。

どうして?と思ったのは、雨宮さんが死んでしまったことじゃない。

私は…死んでしまったことに対して、とても納得がいっていた。

あんな…軽やかな炎のような金魚のような美しい人だ。

そのまま燃えて天に消えていってしまってもおかしくはない。

だって、何一つ抜け目がなく、完璧だった。

「燃え尽きてしまったんです」と言われたら「確かに」としか言いようがない。

どうしてもっと…、もっとだらしがなく、不格好で、約束だって破ったっていいし、横柄でもいいし、多少筋が通らないことが一つや二つあったって良かった。

イメージと違っても良かったし、もっとゲスくて、やな奴で良かった。

「そんなに綺麗に、筋を通して生きていなくっても良かったじゃないか」と思った。

でも、それがきっと雨宮さんの生き方だったのだと思う。

亡くなってから、雨宮さんは「白いワンピースを着て、男性と二人、手を繋いでデートしたかった」という理想があったことを知った。

ワンピースじゃないし、男性はいなかったけど、雨宮さんの夢が少し叶ったならいいなと思った。

遺品整理をしている方が、雨宮さんのクローゼットには沢山の服があったと語っていた。

色とりどりの服があるクローゼットの中に、ポツンと真っ白な追憶のブラウスがあったことを想像した。

なんてドラマチックなのだろう。

軽やかな炎は燃えて、白く高く上がっていってしまったなら、それは仕方ないし、私はそんな風に美しく生きて亡くなってしまう人を、未だ雨宮さん以外に知らない。

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