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期待のゲーム『デス・ストランディング』についての3つの考察

『メタル・ギア・ソリッド(以下MGS)』シリーズによって、多くの熱狂的なファンを獲得し、世界でもトップクリエーターとして尊敬されている小島秀夫監督が、コナミから独立して満を持して出すゲームソフトが『デス・ストランディング』です。いよいよ11月8日に発売されます。


今回はこの謎多きゲーム『デス・ストランディング』について、発売前の今だから言える考察などを書いていきたいと思います。といっても、物語の全体的な話ではなく、あまりこの部分について誰も語っていないなーという部分に関してのお話です。

というわけでこのゲームを知らない人にとっては何のこっちゃみたいな内容となると思いますけど、興味のある方だけお付き合いくださいな~w。

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まず、どんなゲームかという説明から。

デス・ストランディングという現象によって繋がりが分断され崩壊した世界。サム・ポーター・ブリッジスはそんな世界で人々のために、アメリカを再建するため、そして“未来”を運ぶ任務に赴くのであった。

物語の世界観やゲームシステムが謎に包まれている部分も多く、それが小島監督の仰ってる「まったく新しいジャンルのゲーム」となるのか、今の所は全然分かりません。
私が今ざっくりと理解している程度でいうと、このゲームの内容はこんな感じです。

・繋がり(ストランド)の概念を取り入れた『ストランド・ゲーム』という新しいジャンルのゲーム(アクションゲーム)

・アメリカの端から端まで何かを運ぶのが目的らしい

・プレイ動画は基本移動がメインで、ロードムービーのようにも見える

・異形の敵らしき存在は異世界につながっている(死の世界)?

・このゲームは『棒と縄』に例えられる。棒は叩く事が出来、縄は何かと何かを結ぶ事ができる

他にも色々あるとは思うけど、『繋ぐとはどういうことなのか』とか『新しいジャンルのストランド・ゲームって何?』みたいな疑問は、やってみないと分からないですね。

そして、ここからが本題。私が考えるこのゲームの予想です。
(基本的には『こうだったら良いな』という私の願望が入ってます)

①食事システムがすごいはず
②サム・ブリッジスというメインキャラクターの重複の謎
③ストランドとはネット世界での繋がりについての言及である

というのが私が今『こうなんじゃないか』と考えている内容です。
以下、それぞれについて解説していきます。


①食事システムがすごいはず


きっとこの部分が充実して、すごくなるんじゃないかなーって予想です。(小並感
というか、今まで公開されてきた情報を見ても、食事システムについて言及されているのって、ほとんど無いんですよね。
これ、私にはすごい不思議なんです。だってすごい作り込んでいるはずだから。

このゲームには主人公の分泌物(尿や血液など)が重要な武器になる描写があって、もしそうであればその元となる食事についてこだわらない理由がないと思うんですよね。食べることによって人は排泄していくわけですから、排泄についての描写があるならば、それと同じくらい食べる部分に関しての描写があるはずだと思うんです。

他のゲーム(『レッド・デッド・リデンプション2』『ファイナル・ファンタージー15』『モンスターハンター』など)を例に出すまでもなく、食事にまつわる狩りや料理などの描写は、エモーショナルな部分でもあるし、また最近のトレンドでもあると思うんですよね。そこに関してスルーするのは考えられないし、今回のゲームに関していえばなおさら重要な要素になっているんじゃないかと思うわけです。

それが狩りなのか調理なのか、どんなシステムなのかは分からないけど、今までとはまた違うこだわりの食事システムがあるんじゃないかと思っているし、そうだったらいいなーと熱望している訳ですw。

(余談ですが、私の持論として『衣・食・住』は昔からゲームが目指すべき次のフロンティアだと思っています。『衣』は選んだコスチュームがそのままビジュアルに反映することで表現されてきて、『住』は自分の住む場所(そして寝るという行為)の描写。そしてこの『食』こそが、世界のトレンドで一番見直されている部分だと思っています)

②サム・ブリッジスという主役の重複の謎


このゲームで不思議に思ったことの一つに『多くの人が”サム・ポーター・ブリッジス”という人を操作する』という事があります。
これが何故不思議なのかというと、(厳密には違うけど)ひとつの世界線に多くの人が同時に同期しているからです。違う人が操作する複数のサムが、(厳密には違うけど)同じ世界に存在しているんです。

例えば格闘ゲームで同じキャラクターを使ったり、あるいはFPSなどによるバトルロイヤルといったゲームでは珍しいことではないかもしれません。あとはMMORPGとか。

でもこのゲームはそれらとは意味合いがちょっと違うんですね。『カイラル通信』というシステムの中で浮き彫りになるんですけど、同じ時間帯でプレイしてる人たちの相互協力によって全世界の人たちがプレイしたサム・ブリッジスが助け合うんです。
普通なら『協力プレイなんて普通にあるじゃん』となるわけですが、世界観を作り込んでいるこの世界では『同じ人物がたくさんいる』という矛盾は、明らかに違和感を感じます。

小島監督はその矛盾について、何か絶対意味を持たせていると思うのです。

前作『MGS5』をプレイしている人であれば、その先についても結構想像出来るのではないでしょうか。ネタバレになっちゃうので詳しくは書きませんが、『プレイしている自分』と『ゲームの中の主人公』との間に、どのように”つなぎ合わせるか”という部分の描写がとても秀逸でした。
そこまでメタ的にゲームの中の主人公とプレイしている人を繋げようと試みていた監督が、『同じ世界線に複数の同一キャラクターが存在すること』に関して、無自覚な訳がない。
きっとそのあたりの事が物語とはまた違う部分で、根幹を成す要素なんじゃないかと思ったりしています。

ちなみに『カイラル』とは、ギリシャ語で『掌』が語源の『キラリティー』とも言われ、『3次元の図形や物体や現象が、その鏡像と重ね合わすことができない性質』なんだそうです。
鏡像とはもう一人のサム・ブリッジスの存在とも考えられ、それはゲームをプレイしている自分や、全世界の人とも捉えられると思うんですよね。
それがキーワードである『繋がり』に関係してくるんじゃないかなーと思っているのです。

③ストランドとは”ネット社会での繋がり”についての言及である


これは②を踏まえたうえで、果たして監督が仰っている『ストランド・ゲームという全く新しいジャンル』というのがどういうものなのか、という予想です。
一見するとただのお使いゲームに見えますが、実際はどうなんでしょうか。

これもプレイ動画を見て不思議に思った点なんですが、このゲームでは『キャラクターではなくてプレイしている本人』の描写があるんですよね。協力プレイや評価システム(イイネ)によって、例えばサム・ブリッジスの向こうにいるトムさん(仮名)や田中さん(仮名)が見えて来るんです。これも実に不思議。

『世界を救う為にゲームしている』はずなのに、同時にカウチに座っている誰かの存在(メタ的存在)を意識させるのです。物語を語る時には何よりも大事なのは没入感のはずなのに、なぜか現実世界の客観的な目線を入れているんですよね。客観性を帯びれば帯びるほど冷めていくはずなのに、なぜあえてそれを意識させるのか。
それは『ゲームと現実を繋ぐため』ではないかと思うのです。

宮崎駿監督が『外で遊ぼうってアニメを作っても、子どもたちは家にこもってそのアニメを見ている』という矛盾が示す通り、どんなに素晴らしい物語があったとしてもアニメやゲームという『枠』を外すことは出来ません。人はその枠の中で物語を楽しんで、それとは隔絶した現実を生きる訳です。

でも本来はきっとそうじゃないと思うんですよね。アニメもゲームも、映画も本も、それはただの二次元のデータではなく、かつては憧れの人が語る人生訓だったり、先生に教えてもらう教科書だったりしてた訳です。
きっと小島監督はそういう物を取り戻したいんじゃないのかな、って思うんですよね。それがゲームと現実との”つながり”。

また私たちはネット社会でも同じような問題をはらんでいます。多くの人にとって、もはや必須のインフラになったネットというもう一つの世界では、日を追うごとに人々の言葉は鋭くなり、誰かを罵る声が大きくなっていっています。

現実世界での本人とネット社会での匿名の自分という関係性は、ある意味でゲームの主人公と自分の関係性に似ていなくもないと思うのです。その関係性があまりにも離れている(枠の中と外がはっきりし過ぎている)と、それはフィクションになり簡単に誰かを傷つけてしまう可能性もあるのです。おとぎ話は現実になぞらえるからこそ、そこに意味を持たせられると思うんですよね。


今回の『デス・ストランディング』は、物語とは別にそういう所を意識して作られているんではないかな~と思っています。若干勇み足が過ぎる気もしますがw、これまでもゲーム性を担保しながら、その時々の社会情勢をテーマに盛り込むことに長けていたコジマ監督の作品であるならば、そこにコジプロ設立の流れ(海外からの支援、同志の合流など)くらいの事は乗っけてくるんじゃないでしょうかw。

またちょっと面白いなーと思ったのは、『ストランド』って『並行論理プログラミング言語』の名前でもあったりするらしいですよね。

ゲームでは『デス・ストランディングは「ある世界」から「あるもの」が座礁することを意味し、現実では鯨やイルカが大量に海岸に打ち上げられる現象をマス・ストランディングと呼び、生きた状態をライブ・ストランディング、死んだ状態ではデス・ストランディングと呼ぶそうです。

『世界中の重ね合わすことが出来ない鏡像』と『並行論理』、そして『ネット社会での繋がり』という流れとして考えていくと、ただのお使いゲームとはまた違った側面をもつゲームとして見れるのかなーと思いました。


まぁ実際にはどういうものになるかは分からないし、そもそも全く見当外れの場合も結構あるとは思いますが、せっかく色々考えたので、発売前に記録に残して置くために書いてみました。発売された後に書いても意味ないですしねw。

とはいえどんなゲームになったとしても、小島監督の新作がプレイ出来るというのは嬉しいものです。
発売は11月8日ですって。もうあとちょっとで発売です。
どんな感じになっているのか楽しみで~す!

(ちくわ【どんぐり】)


※おまけ
本テキストは前にTwitterで書いたものを修正して書き直しました。
それだと簡単に出来るかと思ったら、超大変でしたーw!
(元のツイート↓)
https://twitter.com/Harasakeohkami/status/1187808706559242240

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