アイルトン・セナ没後30周年

今年でセナが世を去ってから30年ということは早々に認識していたが、特段どうするということも考えていなかった。ただ、亡くなった当日である今日になっていろいろと思い出されてきたので、書き付け的に書いてみよう。

1994年のF1第3戦のサンマリノグランプリで事故は起きたが、当時、私は大学2年生だった。参加していたサークルの合宿に参加していた最中で、もはやそんなことをしている団体は化石だろうが、外界と接触をほぼ禁じられた期間に入っていた。もちろん、いまのようにインターネットがあるわけでなく、携帯電話すらない時代。合宿に出かける前に同じくサンマリノで亡くなったラッツェンバーガーの1件は知っていたが、遅れて参加してきた後輩が持っていたスポーツ新聞を見て愕然としたのを憶えている。

最初はその後輩はF1見たことないので何か勘違いをしているのだろうと思っていたが、こんな現実があっていいのかというショックで、その合宿には身が入らなかったように記憶している。自宅に戻ってから録画を見て涙が止まらなかった。

もともと私は同時期に活躍していたナイジェル・マンセルのファンだったので、どちらかというとセナは応援していなかったのだが、やはり当時のF1の主役の1人であり、その存在は大きかったのであろう。

今の安全基準が当時にあったなら、こんなことにはならなかったのではないかというウェブ上の意見を見たが、それは高確率であっていると思う。しかし、あの事故がなければ今の基準があったかと言われれば、それも分からないと言える。残念ながら、何かが起きないと真実が見えてこないというのは人間の未熟な点であるが、それを糧にして進化するというのも人間のいいところだ。当noteの主題は競馬であるが、競馬界でも今年になって国内外で3人の騎手がレース中の事故で亡くなっている。数年にひとり出るか出ないかの話が、この3か月で3人だ。別の記事で書いたが、競馬の主催団体には騎手の安全性をもっと考えて欲しいし、ここから何も学ばずにいるのであれば、それは改めるべきだ。

話を戻すが、当時は毎月、F1の雑誌を買っていたし、レース後にセナの独占手記が掲載される東京中日スポーツを駅の売店で買っていた。確か雑誌の方に載っていたと思うが、ほどなくして現場の人たちは気持ちを切り替えてレースに臨んでいたという記事を見た。悲しい出来事ではあるが、歩みを止めてはならない、と。これは記憶をたどって書いているのでその真偽はどうなのかという点もあるが、その記事で自分の中もモヤモヤも消えていったような気がしている。F1はその後進化を続けているし、競馬の方も餌の進化や調教方法の高度化によって以前よりも馬のケガが少なくなっているように感じる。いつまでもそこにとどまっているわけにはいかないのだ。

あれからもう30年。自分も歳を取って、親世代は当然のこと、同世代でもチラホラ亡くなる人たちも出始めてきた。とにかく同世代が亡くなるとけっこうな衝撃であるが、とは言え前に進んでいかなければならないのは30年前と変わらない。仕事にしてもなんにしても、残された時間は限られつつあるなかでいかに前進を意識していくかが大事だと思うので、そこはいい意味で馬鹿になって日々を過ごしていきたい。

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