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「10〜30代の死因1位は自殺」の記事を読んで考えたこと

寿命ってなんなんだろう・・・

人の寿命がわかるようになる。
なんて未来がすぐそこまできているような気がしますが…。

もしわかるのならそれを確認すべきなのか、否か。
もしわかったら自分は残りの人生をどう送るだろうか。
齢30も半ばに差しかかろうとしている今日この頃ですが、生き急いできてしまった20代後半と全く異なるペースで今を生きている時分に、ふと残りの人生を意識することがあったので感傷に浸っていたのでした。(今は元気!!)

さてそんな中。
「10〜30代の死因1位は自殺」なんてショッキングな記事を見つけてしまった。
(引用元:毎日新聞 2019年7月16日記事より)

しかし職業柄、なんとなくうなずけるのもしかり。
私たちが扱っている「死体火葬許可証」には亡くなられた方の死亡場所の記載があり、そこがどこなのか。によって、なんとなく死因が想像できてしまうのである。

病院なのか、自宅なのか、あるいは○○川河川敷やら○○駅やら。
(※注意:実際には住所のみの記載なので、あくまで想像の範囲を超えません。
また、私たちは公的書類である「死体火葬許可証」に誤記や抜けなどの不備がないかどうかのチェックを業務として行っているだけであり(不備があると火葬できない場合がある)、もちろん当然ながら個人情報保護など法令遵守は怠りません。)

つまり、病気なのかそうではないのか。

(ハッキリと書きますが)自殺した故人に残されたご遺族には目も当てられませんよ。
無線機から聞こえてくる嗚咽まじりの泣き声。
壁一枚向こう側の廊下をすすり泣きながら歩く姿。

はたまた現実を全く受け入れられていないのか、平然とした表情で火葬を終えて帰るご遺族たちも。

もし、自殺して亡くなった方が自らの寿命を確認していたとしたら。
それが10年、20年、30年先だとわかったらとてもツライことになるのでしょう。
反対に、明日!とかだったら。
考え直したりするのかな。。。

なんて考えていても答えは出ないのですけど。
僕は「あれもこれもまだやってない!」ってなるタイプの人間なので、なるべく後悔しないように一日一日を大切にしたい。
だからこうやって自分の人生と死について考えたことを書き残そうとしているんだと思う。

変な話、他人ではあるものの人が亡くなるということをほぼ毎日意識しながら生活していくのって、それなりにエネルギーを使うんですよ。

ただ、逆に「俺は一日でも長く生きてやろう!」って強く思うようにもなるのです。
だって、明日死ぬかもしれないから。
自殺だけではない、事故もありうるし、事件に巻き込まれるかもしれない。急に心臓が止まるかもしれない。

エゴではないのです。それだけ命の大切さを他人の死から感じ取っている、といっても過言ではありません。
遺される家族のこともそう。
だから明日も生きて帰ってこれるといいなと思います。


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