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法人の"こころ"

司法書士&行政書士試験の勉強がてら、noteをはじめてみました。今日は、法人の"こころ"についてお話ししたいと思います。

日本法は、法律行為の当事者となりうる「人」について、「自然人」と「法人」が存在すると定めています。「自然人」とは、いうまでもなく私たち人間のことですが、「法人」は、物理的に存在する何らかの生物や物体ではありません。

法人とは、私たち自然人が、「名称」、「目的」、「役員」を書面で定めたときに誕生する、法的な観念です。

法人の種類によって登記事項、設立時に決める必要がある事柄は違うのですが、どの国にも領域、領民、主権という国家の三要素が備わっているように、国家の中に存する法人にも、少なくとも上の三要素は種類を問わず規定されていると思われます。

そもそも、契約というもの自体、ひとつの観念ではあるのですが、契約が人と人を結ぶ線のようなものだとすれば、自然人は点で、法人はハコということができるでしょう。

箱どうしでも、箱に入っている点とそうでない点とでも、点と点とでも、契約という線を結ぶことはできるのです。それらの線をつたって、「人」以外の存在、つまり「物」がやり取りされていきます。
(もっとも、「物」や「線」の種類についても、民法はあれこれと言っています。そこでは、人間社会を非常によく抽象化・言語化した美しい世界が描かれているのですが、それについては稿を改めましょう!)

法人に"こころ"はあるのか

さて、点である人には、心があり、様々な希望と恐れの間で板挟みになりながら、それでも全体としては力強く生きているのですが、法人には、"こころ"はあるのでしょうか?

ある、という見解に立つ理由も、そうでない理由も、色々と考えられそうです。会社や団体の発起人にはそれなりのビジョンがあるのだからある、ともいえそうですし、(理想としては)社長が亡くなっても続くのが会社なのだから、発起人のだれそれの思想が法人のこころというのはおかしい、ともいえますね。

法律というもの自体、科学実験で中身を確かめられる物質的な存在ではなく、あくまでも言語の中で生まれた観念だから、物質的な存在でもある自然人のこころの有無と並列して語るのはおかしい、という根本的な反論もなされそうです。

しかし、法人のこころについて考えることで、私は法人を、日本法を、世に居並ぶ数え切れないほどの会社や団体を、ますます好きになることができました。なので、もう少し、話を続けさせてください。

法人の"こころ"

法人に関する通則法である一般法人法(一般社団法人及び一般財団法人に関する法律)の成立によって削除されてしまった(平成20年)条文ですが、法人にもこころがある、と感じさせる条文は、何といっても、こちらです。

民法第72条(残余財産の帰属)
1.解散した法人の財産は、定款又は寄附行為で指定した者に帰属する。
2.定款又は寄附行為で権利の帰属すべき者を指定せず、又はその者を指定する方法を定めなかったときは、理事は、主務官庁の許可を得て、その法人の目的に類似する目的のために、その財産を処分することができる。ただし、社団法人にあっては、総会の決議を経なければならない。
3.前二項の規定により処分されない財産は、国庫に帰属する。


この規定は、法人が最終的に消滅するときの手続についての定めなのですが、法人が消滅する段階に至っても、未だ何らかの財産が残されている、ということがあります。

その時にどうするのか、ということなのですが、ここで注目していただきたいのは、「理事は、主務官庁の許可を得て、その法人の目的に類似する目的のために、その財産を処分することができる」という一文です。

理事、つまり役員は、政府の許可を得れば、残された財産をその法人の目的に類似する目的のために使って良い、ということになっていたのです。

最初に説明したように、法人とは、自然人たちが、何らかの目的、事業、構成員を定めて契約を交わすことで誕生する箱なのです。その箱が解体されてしまうとき、ハコの中に残っていた物は、やはり自然人の元に委ねられます。

しかし、箱の中に物を入れた存続当時の段階では、物を入れた当事者は特定の自然人ではなく、あくまでも法人に対して入れたのですから、最後に残された理事がポケットに入れて良い、ということにはなりません。

そこで、民法は、箱を作った当時の自然人たちが定めた「目的」に従う限りは、政府の監督のもと、最後まで残った役員が、箱の「目的」を引き継いで財産を使ってもよい、ということにしたのです。

そして、それをしない場合は、「国庫に帰属する」……つまり、納税してね!ということになるようです。なんだか、民法って、案外お茶目ですよね!

たぶん、「目的」が法人のこころ

最初の説明で、どのような法人であっても、名称、目的、構成員の三要素が定められている、とお話ししました。

その中で、法人が、法人である限り、最後の最後まで手放すことができない、人間にとってのこころのような要素はあるのだろうか、というのが問いでしたが、法人の清算について定めていた民法第72条によると、どうやら「目的」が法人のこころ、になりそうです。

法人を立ち上げる人は、まだ実現していないけれども、どうしても実現したい何かがあって、法人を立ち上げます。まったく同じことを実現している法人が他にあるならば入れてもらえば良いわけですからね。

しかし、大きい目的なので、一人では実現できないと考え、個人事業ではなく、法人の結成を選ぶのです。

法人も、自然人と同じようにお金を使いますし、お金を稼ぐ能力をもちます。そして、財産と借金を抱えます。そうなると、そこで法律的な争い、つまり矛盾が起きたときは、三権の一角たる裁判所が、何らかの答えを出さなければなりません。

すると、答えを出すならば、その根拠はどうしても必要ですから、「みんなでやっていて楽しいからいいや」では残念ですが不十分で、法人の設立という手続を履践し、それを登記すること(司法書士の仕事です!)が義務づけられることになります。

法人が消滅する理由は色々とありますが、法人のこころが活かされるのは、代表者が死亡するなどでリーダーが不在になったときに解散する場合、でしょうか。

そうすると、リーダーではないのだけど事後処理をすることになった人が、法の規定にのっとり、財産を処分することになります。

死亡したリーダーは、意図しない死によって妨げられた目的の実現が、思い描いた完全な形ではなくとも、その法人の目的に類似する目的のために使われていくのを、草葉の陰から見届けていくのです。

あくまでも生前に条文を知っていれば、ですが、民法のお陰で、枕を高くして事業に打ち込める気がしませんか?

多くの自然人にとっては、一生のうちに一つか二つぐらいしか、法人を立ち上げて事業に打ち込む機会はありません。先祖代々の会社を継いでいて、法人の生涯と個人の生涯が切り離せないような自然人もいます。

断腸の思いという言葉がありますが、法人のリーダーにとって、自らの人生と一体化してきた法人の命運は、まさに切実な問題です。自分が去っていっても、こころだけは残していきたい、と思うのは当然のことです。

民法は、そうしたリーダーたちの気持ちを、しっかり汲み取っているのだと思います。

もっと人の気持ちがわかる法律界を

法律の世界は、あたかも、人の気持ちがわからない世界、万事が理屈の世界、というイメージを持たれがちですし、私自身も、法務局、裁判所、警察署、検察庁、そして弁護士事務所に行ったときには大抵そう思います。

しかし、それは法律学の本義がいまだに実践されていないからに過ぎず、実際は、法律の条文一つ一つに、人格的に成熟した法学者たちの思念と理想が濃厚に表現されている、と私は思っています。

そして、漫然と私以外の人のするがままに任せていては、いつまでたってもそれは実践されず、あたかも巨大なスーパーの商品のように法の条文が扱われてしまい、その結果として、条文に具体的に関係する市民一人一人がひどく疎外されてしまいます。

そうすると、人々は、自らの抱えている法律問題に対して、司法はあくまでも無機質に機械的に答えてくる、質問には答えず、無理難題だけを押し付けてくる、と感じることになるでしょう。

私の座右の書である『家栽の人』で、「悩む人がいなければ、裁判所は冷たい箱になってしまう」というフレーズがありました。

人間にとっては、現に私たちが衝動と恐怖を同時に感じ、生きたいと願うと同時に、生きることの重圧から解放されたいと願うように、人間として存在するということそのものが大いなる矛盾なのです。

すると、その人間同士の間で発生する法的紛争は、いってみれば、人間存在の矛盾が2乗にも3乗にもなったものということになります。

生きるという矛盾に対して明確な答えがないだけで私たちは苦しいのに、その矛盾を2乗とか3乗にしたような大きな問いかけに対して、司法というシステムがろくに答えてくれないのでは、救いがなさすぎると思いませんか。

しかし、依頼者に対する愛と法知識、そして言語能力があれば、裁判所や司法というシステムをいきなり変えることはできなくても、より的確、シャープな問いかけ、より強い働きかけをすることはできます。

そうすれば、裁判所も人間ですから、より的確な答えを返してくることでしょう。的確な答えは、矛盾に苦しむ人を救うことでしょう。

だからこそ、法律家を目指すのです。それでは、勉強頑張ります💪

参考文献

内容が古いですが多くの社団について解散時の処理がまとまっている文献

現行の一般社団法、会社法を前提とした説明


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