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カヲル婆さんに教えてもらったこと

 5月24日、東京・神保町にある農文協・農業書センターで、『片品村のカヲルさん 人生はいーからかん』刊行記念トークイベント「移住と婆さま」を開催しました。
 ご存知ない方のためにあらためて説明すると、本書は、群馬県片品村に住む須藤カヲルさん(92歳)が、季刊『うかたま』に10年連載してきた「カヲル婆さんのいーからかん人生相談」を再構成したものです。薄くて簡単に読めるのですが、「読めば読むほど味がある」「カヲルさんの宇宙がかわいい」「土に根ざした婆ちゃんのしなやかな強さに感動した」などうれしい感想もいただいています。(本の情報はこちらです。)

 さて、イベントの登壇者は、本書の編者、カヲル組の3人。企画・構成・文を担当したしまざきみさこさん、企画・写真を担当した高木あつ子さん、そして片品村在住の取材担当で、連載の聞き役でもある瀬戸山美智子さん(みっちゃん)
 3人そろっての初めてのトークイベントのテーマに選んだのは、「移住と婆さま」。みっちゃんが片品村に移住したのは15年前ですが、そこでみっちゃんがカヲルさんをはじめとする村の婆さまたちと親交を深めてきたからこそ、この本が生まれたわけで、それならじっくり、移住者であるみっちゃんと、カヲルさんをはじめとする村の婆さまたちのかかわりを聞いてみようと企画しました。婆さまという存在にもスポットをあてたい、そんなささやかな目論見もありました。
 トークイベントの内容を再構成してお送りします。

◆渋谷の片隅で、地球の危機に悩む

 まず、話はそもそもなぜ、みっちゃんが片品村に移住したか、から始まりました。
 みっちゃんは、横浜生まれ、横浜育ち。10代のころから安室奈美恵を目指すアムラーで、学校を卒業して東京・渋谷のアクセサリー屋さんに就職。お給料のほとんどを洋服と夜遊びにつぎ込む、いわゆるギャルだったそうです。いまのナチュラルなみっちゃんからはその姿はまったく想像できませんが……。

「楽しくてしかたない毎日でした。でもしばらくすると、ふと、このままでいいのかな、と思うようになったんです。働いていたアクセサリー店では月に1千万円のノルマがあって、それを達成するためにお客さんにおし売りするような日々が続いて。私、なにやっているのかな、とむなしくなって……」

 ちょうどそのころ、子どものころに悩まされたアトピーが再発。それが決定打となって、「これは人生、見直さなきゃだめだと思うようになりました」。そこから食や農業、環境問題に関心を持ち始め、本を読み漁るようになったそうです。

「そのとき読んだ本で、日本は異常に自給率が低い国であることを知り、とくに日本人の食生活にかかせない大豆の自給率なんて当時で7%しかないってわかったんです。いったいどうなってるの? このままでいくと地球はヤバイんじゃない! と渋谷の片隅でひとり悶々と悩んでいた23歳でした(笑)」

◆片品村でからだが変わった!

 渋谷にいてもしょうがない。
 あんなに大好きだった渋谷を見切って、地方にいこうと思い立ったみっちゃんは、インターネットのボラバイト(ボランティアとバイトの合成語)というサイトで片品村のペンションの求人を見つけます。農業をやってみたかったけれど、いきなりできるかどうかわからないので、まずはペンションで3か月働きながら農の現場をみようと考えて片品村に向かいました。
 ペンションでの生活は快適でした。片品村は尾瀬の近くで、スキー場もある。移住者が比較的多く、だから同じく都会から来たみっちゃんを、みんなあたたかく受け入れてくれました。生活も一変。朝早く起きて、しっかりペンションで働き、ちゃんとごはんを食べ、夜は早く寝る。そういう生活を続けているうちに、からだがだんだんと変わってきたことを実感します。

「すごくいいなと思って。本当は1回横浜に帰ろうと思っていたんですが、ここでの生活が気持ちいいし、しかも大豆に出会ってしまったんですね。片品村には大白(おおじろ)大豆という地大豆があるんですが、それを豆腐屋さんが自ら栽培していた。その豆腐を食べたらおいしくて。もうちょっと片品村にいて、こんどは大豆の栽培のアルバイトをしようと思ったんです」

 ペンションでのアルバイトでは移住者の人たちとの交流が中心でしたが、大豆栽培のアルバイトでは、地元の人たちとのかかわりが増えました。

「地元のおじいちゃん、お婆ちゃんたちがほんとにかわいがってくれて、毎日違うおうちで、ご飯を食べていました。都会にいると、人のおうちで日常的にごはんを食べることなんてないじゃないですか。わたしもこういうふうに、自分でつくった野菜を毎日食卓にあげる暮らし、村の人たちがあたりまえにしている暮らしを自分で実践したいと考えるようになって、片品村に移住することを決めました」

◆カヲルさんとの出会い

 片品村のおじいちゃん、お婆ちゃんたちと日ごとに親しくなっていったみっちゃんですが、カヲルさんと出会ったのはある年の冬のことです。

「私は、農業がやりたくて片品村に移住したんですが、関東随一の豪雪地帯であることを知らなかったんです。最初のころ冬は実家に帰っていたんですが、片品を知るためには冬を知らなければだめだと脅かされて(笑)、冬も片品村にとどまることにしました。なにもかも凍ってしまうような冬をどうやって過ごそう、と思っていたときに興味をもったのが炭焼きだったんです」

 炭については、昔は冬に木を切って、炭を焼いて、だから森も手入れされ、地球環境にもよい燃料だ、という話を村の人から聞いていました。でも今どき炭を焼いている人などいるのだろうかと思っていたといいます。

「そうしたら、居候していた家の前にたまたま炭窯があった。ユンボ(シャベルがついた重機)に乗るのもやっと、の足腰の弱ったおじいちゃん、お婆ちゃんがその炭窯で炭を焼いていました。
 その姿をみて、単純に手伝いたいなと思ったんです。正直にいうと、若い私が手伝ってあげましょう、みたいなそんな上から目線だった(笑)。ところがそれがすごく有名な炭焼き職人のおうちだった。それがカヲル婆さんと、その夫の炭焼き名人、金次郎師匠との出会いでした」

 当初、金次郎さんは、みっちゃんを相手にしてくれず、ほとんど口をきいてくれなかったそうです。

「師匠からみれば、若い姉ちゃんがよく知りもしないで手伝いたいなんて、なにいってんだ、そんな感じだったんでしょうね。そのときあいだに入ってくれたのが、カヲル婆さんでした。カヲルさんはユーモアたっぷりに話しかけてくれるし、気を使って食事を出してくれたり。とにかく、あたたかく受け入れてくれました」

◆味噌加工所が50年も続いてきたわけ

 それ以来、みっちゃんは炭焼きの手伝いを続けています。炭の美しさに魅せられて、いまでは炭をアクセサリーに加工する技術も開発し、炭アクセサリー作家として活躍しています。
 そのほか、みっちゃんは現在、「iikarakan」という屋号で、自然栽培の野菜や味噌なども販売していますが、その味噌もじつは、カヲルさんから直伝でつくり方を教えてもらいました。
 カヲルさんは50年近く、地区にある味噌加工所で、近所の人たちといっしょに味噌をつくってきました。みっちゃんが味噌づくりを教わるようになったのは炭焼きの手伝いを始めたころです。

「ある日、カヲル婆さんが、春になったら、麹を仕込んで味噌をつくっているよという話をしてくれたんです。こんな近くに、味噌をつくっている人がいた、しかも麹からつくっているんだと感激して。大白大豆が村に残されてきたのは、お婆ちゃんたちが自分の家族に食べさせる味噌をつくるために、細々と大豆の種を残してきたからだ、という話を聞いたことがあったんですが、それがカヲル婆さんたちだったんだ、と」

 その味噌加工所は、戦後に農村の主婦たちの生活を向上させるために補助金によってつくられたものだそうで、片品村の各集落にあったといいます。ですが、いまも残っているのは片品村ではカヲルさんの住む集落のみ。続いてきたのはカヲルさんが近所のお婆ちゃんたちを誘って味噌を作り続けてきたからなのでした。

「カヲルさんがすごいなと思うのは、味噌づくりのスタッフとして、だんなさんが亡くなって一人暮らしになったお婆ちゃんとか、生活がちょっと厳しそうなお婆ちゃんを誘って雇うこと。ふつうに考えたら、お婆ちゃんよりちょっと若い体力のあるおばさんのほうが働き手としてはいいじゃないですか。でもそうしなかった。味噌加工所は味噌をつくるだけの場所ではなくて、作業しながらおしゃべりできる場として機能させていたんですね。カヲルさんはそんなこと全然いわないけれど、いっしょにやっているとそういうことなんだとわかる。すごいなあ、と思って。カヲルさんは味噌加工所を損得だけでやっていたら、3年ももたないって言っていました」

 カヲルさんは88歳で味噌加工所を引退。いまは、カヲルさんの息子さんとみっちゃんが中心となって味噌をつくっています。今年はたくさんの若い人たちが味噌の仕込みに参加してくれたそうです。

「90代のつぎ、私が40歳で、そのあいだがすごくあいていますから、続けられるのかなと思っていたんです。私よりちょっと上の世代は、母親が味噌をつくっていたけれども、その母親たちがいなくなったら味噌づくりも終わりだ、みたいな感覚の人が少なくない。けれど、いまの若いママたちは違う。先入観なしで、味噌作ってみたい、手伝いたい、といってくれる人が多い。すごくうれしいし、頼もしいです」

◆「いーからかん」の意味

 そんなみっちゃんも一児のママ。30代で、同じく移住者である自然農法を追求する男性と結婚、その後出産。娘さんはいま5歳です。ママになって、保育園や地域の行事を通じて、若いママたちと交流する機会が増えてきました。対面して情報を伝えるだけでなく、ブログ、Facebook、インスタグラムを上手につかって日々の暮らしの様子をアップ。そういう積み重ねが、味噌づくりに多くの人たちの参加を促したといえるのかもしれません。

「でも、移住してしばらくは、私たち夫婦のお友達って、お年寄りばかりでした。というのも、自然農法をやるなんて変わり者だと思われていたからなんです。農業経営の常識から考えたら、自然農法をやろうとしている人間なんて相手にされない(笑)。でも、おじいちゃん、お婆ちゃんたちだけは違って、機械を使わず鍬だけでやっていたらめずらしがって、昔はこうやったんだ、と教えてくれたり、大豆のあいだに小麦をまくといいよとか、アドバイスしてくれたり。種も交換してくれましたし。それですっかり仲良くなったんです」

「お婆ちゃんたちはよく差し入れもしてくれました。たとえばおやきとかもってきてくれるんですけれど、それがすごくおいしいから、これどうやってつくるの? レシピ教えて、と聞くと、『レシピってなんだ、そんなのいーからかんだ!』といわれてしまう(笑)」

いーからかんとは、片品村の方言で「いい加減」という意味です。

「それでもしつこく、小麦粉何グラム、塩何グラム? とかきくじゃないですか。すると、お婆ちゃんたちは笑いながら『そんなのわかんねえ、いーからかんだ』と。だから、私は『お婆ちゃんたちってほんと適当な人たちなんだな』とずっと思っていたんですよ。けれども、何年も付き合っているうちに、その日の天候などで塩分をかえたり水分をかえたりしていることがわかって、いーからかんっていうのは適当じゃなくて、熟知しているからこその適当なんだということに気づきまして、いーからかんってすごい言葉だなと思いました。年々そんなお婆ちゃんたちが亡くなっていってとてもさみしいのですが、お婆ちゃんたちから教わったことを自分の中でわすれないように、屋号を『iikarakan』にして、活動しています」

 そして、この「いーからかん」は、『うかたま』の人生相談のタイトルにもなり、本のタイトルにもなったわけです。

◆日本の根っこに婆さまたちがいる

 これまでの話で、移住者であるみっちゃんが、片品村での暮らしを15年も続けてこられた理由の1つに、カヲルさんをはじめとするお年寄りたちとの交流があることがわかりました。もちろん、そのような関係は待っていて降ってくるものではなく、みっちゃん側の努力も大きかったのだろうと想像できます。
 いろんなことを教えてもらおうとする若者、そして伝えようとするお年寄り。そんな双方向のコミュニケーションが可能な、しあわせな関係が成立しているから、未来になにかが伝わっていく。

 編者のひとりで、この本の企画者でもあるしまざきさんは、「婆」という存在にずっと惹かれていたといいます。近年流行りの「ばぁば」や「おばあちゃん」では表現しきれない「婆」。自然や祖先や神、仕事や作法や人生の媒介者として存在し、目に見えないものや現実の社会とわたしたちをつなぎ、知恵や作法を教えてくれる年寄り。
 みっちゃんからカヲルさんの話を聞いて、この人だと直感したしまざきさんは、季刊『うかたま』の人生相談のナビゲーターをみっちゃんに、回答者をカヲルさんに依頼します。「カヲルさんに代表される、村のつつましい名もない婆さまたちが、いまだ日本の根っこにいる。年寄りの役割というものがこんなにいきいきと、現代になっても根付いている。それがいかに心強いことなのか、あらためて感激しました」
 そしてその気持ちの底には、愛読していた民俗学者の宮本常一の著書『家郷の訓(おしえ)』の一節があったそうです。
 以下、その一節を紹介します。


古老の話を聞いてつくづくと感じたことは、たんに自分の家に関することのみ伝承しようとしているのではなくて、村全般の家々について語り伝えようとする態度であった。聞いてくれる者がなければ黙ってその胸にたたんだまま死んでいくようなことまでひきおぼえていた。ところがそのつつましき記憶が古老の死とともに近未来、じつにおびただしくほろびていった。そうしたなかにあって、女だけは自分の守るべきことを黙って守っていた。世間が新しいほうへむかっても、家のほかの者がなにひとつ古いことを守ろうとしなくても、自分だけは祖先の意思を子に伝えようとしていた。そして、私は村の中で古いものをほろぼそうとしている人たちが、ことあるときあたらしい方法でこれを処理することができず、やはり村の物知りといわれる人にきいているのをしばしばみた。(『家郷の訓』岩波文庫より抜粋)


 そうして始まった、「カヲル婆さんのいーからかん人生相談」。当時82歳だったカヲルさんは92歳になり、みっちゃんはお母さんになりましたが、2人の素敵な関係は継続中。連載も11年目に突入しています。

◆カヲルさんの写真を撮り続けているわけ

 この本では、『うかたま』連載時にはなかったカヲルさんの写真もたくさん掲載されています。カヲルさんの写真を10年も撮り続けている高木さんに、撮影の動機を聞いてみると、最初はなんと、カヲルさんではなく、みっちゃんの撮影で片品村に通っていたことがわかりました。
 
「みっちゃんに最初に会ったのは、移住女子キラキラガールみたいなテーマの取材でです。私はそのころ、いなか暮らしにあこがれていまして、いっぺんでみっちゃんのファンになってしまいました。その数か月後にイベントのお知らせをいただいて、そこからみっちゃんを撮影するために片品村に通うようになりました。最初はカヲルさんを撮るつもりはなくて、みっちゃんを撮りたかったんですね。なぜかというと、お婆さんを撮るのはずるいと思っていたのです。それは絶対に絵になると写真学校時代に教えられたからです。で、若い人を撮りたいと思っていました。
 ちょっとずつ写真がたまっていったんですが、あるときみっちゃんから『私を撮っている場合じゃないよ、カヲルさんが死んじゃうから先に撮りなよ』といわれ、『そうだよね』ということになってそこから撮り始めました。カヲルさんに撮影を申し込んで会いにいったのが2009年。82歳でした」

 それから撮影した写真はいったい何点になったのか、高木さんも数えたことがないのでわからないそうですが、2017年には新宿のギャラリー、エプソンダイレクトで写真展「片品村のカヲルさん」を開催。このトークイベントでも農業書センターの階段ギャラリーで新作も含めて35点を展示しました。まだまだ撮り続けていく予定です。

「カヲルさんは出会ってから10年以上たちます。当たり前ですが、年々歳を取っていく。目は見えなくなっていくし、仕事もできなくなってくるし、こういうことをやりたいといっていたことがどんどんできなくなってくるし。見ているほうはほんとうにつらい。でも、年取ってどんどんいい顔になっているんです。そして、枯れていく姿を私たちにありありと見せてくれている。だから、それを撮り続けていきたいと思っています」


会場では、最後にカヲルさんの動画も上映しました。
相談していたはずが、いつのまにか話は脱線して……。
会場が笑いに包まれました。

その動画を、FBのページ「カヲル婆さんのいーからかん人生相談」で公開しました。そちらものぞいてみてください!




以上、トークイベントの報告でした。
カヲルさんやカヲル組のことをこれからも発信していきます。

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図書出版ヘウレーカ

2018年創業の出版社。会社は新しいけれど、やっている人間はかなり年数たっています。坂道を下りながら、トボトボと、でも前を向いて、これからの時代を生きていく人たちに少しでも役立つ本がつくれればいいなと思っています。

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