目先の成果に対する焦りと脱却の話

人はだれしもすぐに3000兆円欲しがる。
3000兆円くらいの現実になり得ないことならそんな都合のいい話はないとわかるのに、ちょっとした「ありえない」なら「ありえる」と錯覚したくなってしまう。

ちょっとした「あるえそうだ」けど「ありえない」は、人によって違うだろうが、例えばこんな感じだ。上司ができないなあ、自分ならこうするのになあと思ったはいいが、いざ番が回ってくるとうまくできないとか。特にやったこともないのにダイエットで1か月5キロくらい行けるだろうと高をくくってても、実際は厳しいとか。

でも自分は「できるはずだ」と思ってると、「なんでできないんだ」ってなりがちだ。そんな状態が続けば、「できないんだ」が定着してしまって、とてもつらくなる。じたばたしてるはずなのに浮上しない。沈没。

こういう状態って、得てして起きうる。仕事だけに限って言えば、締切などの成果にたいする差し迫った圧力がこういう状態への引き金になるのではなかろうか。むろん、その圧力が生じてしまう原因については、考えるべきことがあるだろうが。そういうプレッシャーがある状態においては、できないはずのことをできるという謎理論が働きがちだ(人はだれしも謎理論成功体験もあるからこそなおさらだ)。平時ならばできないことへの正当な評価ができるはずなのに、緊張期においてはその判断軸が狂う。例えば判断軸が、5歩先を行く誰かになったり、締切からの割り算になったり。

ホントは変じゃん、おかしいじゃんに気づくには、悪夢のような状態から覚めるにはどうしたらよいのか。
・自分の歩幅をちゃんと観察する
・自分は天才じゃないのだから、今できなくて当然だと開き直る
・目先で必要な成果に対しては、人の力を借りる
シンプルに考えよう。という最近のセルフ課題。

自分の人生、自分の心地よいペースで歩くことが大事。

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