“安心”を求めて
突然ですが、お寺って、いいにおいしますよね。あの奥深いお線香の香りです。
お線香は、仏様に良い香りをお供えものとしてお届けするためと、私達自身を清める意味もあるのですね。
良い香りに包まれていると、何かに守られているような気がします。お供えの時だけでなく、趣味でお香を焚いたり、洋服を着る感覚で香水をつける人もいたりと、香りを普段から楽しんでいる人は多くいると思います。それぞれ、良い香りと捉えるか嫌な香りと捉えるかは異なり、その好みはたいてい遠い記憶に結びついているようです。
*嗅覚は、他の感覚とは異なり大脳新皮質を経由せず直接海馬に情報を伝えます。海馬は記憶や情動を司る部位のため、“におい”と“記憶”は結びつきやすいということらしいです。
私は煙草は吸いませんが、煙草を吸っていた人がさっきまでいたであろう空間の香りがとても心地よく感じられます。コーヒーや紅茶も普段飲みませんが、昔ながらの喫茶店に入った時や、会社で別の社員が紅茶を入れた後のキッチンに入ると、ふぁ〜っと気分が安らぎます。
思い返してみると、人見知りが激しかった子どもの頃、唯一懐いていた大好きな親戚のおばさんが喫煙者であったこと、とても落ち込んでいたときに駆け込んだバーであたたかいアイリッシュコーヒーをいただいたこと…など、香りにまつわる記憶は絶えることはありません。
香りはどれも共通して“守ってくれるもの”のようです。
香りは目に見えないし、記憶なんて時が過ぎてしまえばそれを証明するものはありません。ですが確実に染み込んでいるもので、自分自身を支えているものであったりします。
嫌なニオイだって、自分にとって危険な状況から身を守るための大切な情報です。
ふと不安に陥ってしまったり、迷いが生じて立ち止まることが必要になった時、頭を働かせるのを一度止めて、体の感覚を研ぎ澄ませると、何か「大丈夫だ」と安心できるような気がします。きっと私たちはそれが潜在的にわかっているのだと思います。
仕事の合間に立ち上がってコーヒーを淹れてみたり、お寺にふらっと立ち寄ってお線香の香りを感じてみたり。無意識に“安心”できるものを求めているような気がします。
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