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【ゼロ・ウェイスト】使い捨ては恥ずべき文化。

 調味料や酒などを量り売りしてくれる店、持参した鍋に豆腐を入れてくれる店、野菜や果物、肉、魚などをその場で新聞紙に包んでくれる店。そんな店があったら、私はそこで買いたい。

 ところが現実を見れば、野菜、肉、魚、卵、豆腐、調味料、菓子、水、洗剤など、ありとあらゆるものがプラスチック容器に個別包装されて店頭に並ぶ。そして家に帰って商品を取り出した途端にそれらの容器はゴミとなる。商品を店頭に陳列し、客が家に持ち帰るためだけの膨大な浪費(ウェイスト)である。ファストフード店では食器や箸、スプーン、フォーク、ストロー、お手拭きなどすべて使い捨て。家庭でも空き缶、調味料容器、キッチンラップ、包装紙、マスク、カイロ、おむつ、傘など、ほんの少し使っただけで捨ててしまうものは枚挙にいとまがない。

 「使い捨て」は効率と利便性のためだけに生まれた文化。なくさなければならない恥ずべき文化である。それは果てしない資源の無駄遣いであるばかりでなく、自然の中に分解されずに残留する膨大なプラスチックごみを生み出すことになる。使い捨て文化の歴史は明確ではないが、何でもかんでも本格的に使い捨てになったのは1970年代からではないだろうか。使い捨てのライターやコンタクトレンズが登場したときは誰もが驚いたはずだ。

 かつては缶ビールも缶ジュースもペットボトルもなく、ガラス瓶を何度も再利用して流通させていた。過剰な包装などしなくても、誰も文句は言わなかったし、包むためには風呂敷や再利用した紙、竹の皮などが使用されていた。それに比べ、現代社会では、なぜこうまでして効率と利便性を求めるのか。短期的なプラスのために大きなマイナスを生んでいることは明らかなのに、なぜ歯止めがかからないのだろう。

 私たちの生きるこの時代が、ゼロ・ウェイスト(浪費なき社会)に向けて舵を切る最後のチャンスと言われる。放置すれば取り返しがつかなくなる世界を、このまま子孫に引き継ぐことはできない。

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