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THE ROAD FOR SHOGO~浜田省吾への道 Vol.2町支寛二その1

浜田省吾の魅力を、浜田省吾を取り巻くさまざまな人たちと浜田さんとのエピソードトークから紐解く特別企画。7月のインタビューゲストは、浜田省吾の“盟友”、浜田バンドのギタリスト&ボーカルでミュージシャンの町支寛二さん。まずは、高校時代の出会いの話から、、、
インタビュー:屋形英貴(広島FM)


「影をひきずったような雰囲気を出してた。出てたんじゃなくて、出してた。」


ー皆さんにまずお伺いしているのが、出会いのお話なんですが。

町支
出会いはもう半世紀では足りないぐらい。僕が17、高2の時なんですよ。
浜田くんは(呉)三津田高校でバンドを組んでて。そこに、僕の小学校の時のずっと仲の良かった友達もいて。 そのバンドのボーカルの女の子が可愛いから一度見に来いよって言うんで。公開かなんかでリハーサルをやってるところ、屋上に行ったんですけど、その時、浜田と初めて会ったんですね。
(当時)僕らはビートルズとかそういうのばっかり聞いてたんですけども、その頃から浜田ってブルース系のもの。ポール・バターフィールドとか、そういうのも聞いてて、渋いヤツだなと思って。 えー、びっくりしましたよ。
 
ー浜田さんご自身の印象はどんなイメージだった?

町支
そうですね。あのー、 マジメな感じはマジメなんですけれども、ちょっと、なんか影も引きずってるような雰囲気を出してたんですよ。
 
ー出てたんじゃなくて、出してたんですか?

町支
出してたんだと思う。浜田はすごく。僕らはね(当時)色んなバンドをコピーしてやってたんですけど、実はもう、浜田は、オリジナルソングみたいなものを、その頃から作り始めてて。
 
ー高校生の頃に

町支
そうなんですよ。それで、俺はもう結構びっくりしたんですけどね。
 
ーそれはどんなタイプの曲だったんですか

町支
どんなタイプの曲っていうか、1番覚えてるのは、もうアルバムに入ってんですけれども。AIDOの。
「初夏の頃」っていう曲なんですよ
 
ーあれって、高校生の頃に浜田さんが

町支
一度聞かせてくれたんですよ。


「マネージャー兼ギタリストで行ってましたね。色んなところ。スナックみたいなところやデパートの屋上とか」


ーAIDO時代の浜田さんってどんなイメージだったですか。

町支
そうですね、AIDOとして活動してたのは、ほんの1年なんですよね。元々バンド指向っていうより 、自分のソングライターとしての、何か重きを置き始めたんで、バンドの方向とちょっと違ってきちゃってるのがだんだん何か見えてきて。本人もやりづらそうだし、バンドの中もそういうことで、ギクシャクしてたっていう感じですかね。
 
ー結局、AIDOから浜田さんはソロに。軸足を移す。

町支
はい。
 
ーAIDOは、解散ということで、町支さんが浜田さんと一緒にやろうと思った 理由は何だったんでしょうか?
 
町支
理由はっていうか、ギターをサポートしてくれっていうことで呼ばれたんで、それが最初ですよね。 生ギター1本でやってたんで、ギターでサポートしてくれるかっていうんで。
 
ー生ギター1本で、結構色んなところ回られたりしたんですよね、当時。
 
町支
そうですね。2人で回ってたことがあって。要するに金銭的な問題からマネージャーがつかなくて。
僕、マネージャー兼ギタリストで行ってましたね、色んなところ。北海道とかでも、スナックみたいなところでやったりとか、 デパートの屋上とか、買い物のおばさんがいるようなところでやったりとか、結構色んなところはありましたね。
 
ーそこで、じゃあレコード売ってみたいな感じで。

町支
レコード売ってというか、レコード屋さんが主催で何かそういうの色々やってくださってたんですね。
 
ーそんなお話をお伺いしたところで、町支さんに1曲セレクトしていただきたいんですが。

町支
さっき言った、「初夏の頃」っていうの記憶が僕の中ですごくあるんで、それを聞いてもらいたいなと思います。


「THE ROAD FOR SHOGO~浜田省吾への道」7月は浜田省吾さんの盟友、町支寛二さんが登場。次回は、広島FM「#PUSH」で2023年7月12日(水)OA予定

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