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元ひきこもり。人の優しさと厳しさを感じる。

私の彼女、いや元彼女は車いすユーザーでした。

現在彼女とは疎遠になってしまい、月一の通院などを手伝う仲になりました。

まだお付き合いをしている関係を解消して日が浅いので消化してきれていない部分はありますが、理由としては彼女は結婚して一緒に同居したいと思っている。私としては結婚は難しいと思っている。このように2人の思いが噛み合わず、最終的に彼女が「別れる」という言葉を切り出すことで、私の緊張の糸が切れてしまい元に戻る気が私にも無くなってしまいました。

14年間の付き合いでした。

彼女に対して本当に申し訳ない気持ちです。

本やネットなどで車いすユーザーのパートナーと結婚した人が出てくるのですが、本当にすごいことだと思います。

私には最後まで「できる」と思えませんでした。

世の中の女性たちからお叱りを受けそうなので今この文章を書いていることも若干怖さがあるのですが、今回は車いすユーザーの彼女に長年付き添ってみて、人の様々な面を学ぶことができたので、その辺について書いてみたいと思います。

なぜ付き合いを続けたのか・・?

私の元彼女は神経の難病があり、それは進行性のものでした。

出会った当初は車いすに乗っていなかったのですが、年を重ねるにつれて半身麻痺になり、そこから次第に腱側にも麻痺が現れ、現在は使えていた右手にも振戦が出て、四肢麻痺に近い状態になっていきました。

1人だと出歩くことはできずに外出には必ず介助が必要です。

そして彼女は決してアクティブな性格ではありませんでした。

障害のせいなのか元々なのかわかりませんが、内気になってしまい行動的ではありませんでした。

私は元ひきこもり経験者です。

ひきこもり時代の私は家から外に出ることができずに、人と会話をすることもままなりませんでした。

私の体には麻痺はありませんが、私の頭の中はバリアーだらけで自由に人生を謳歌することができませんでした。

私の場合、26歳になって働き始めたわけですが、社会に復帰してからも頭の中にバリアーがありました。

突如自分の体が動かなくなってしまい、日常生活が送れなくなり、そこから学校にも行けなくなったわけですから、社会生活を送る自信が無いのです。

だから仕事をしながら意識面でのリハビリを続けていました。

別れてからこのようなことを書くのは虚しいものがあるのですが、体が不自由な彼女を見て、自分と重ね合わせていたところがあったのだと思います。

人生を楽しんでもらいたい。幸せな人生を送ってほしい。謳歌してほしいという気持ちがあって、彼女をサポートしていた面が強かったと思います。

冷たい人々

彼女は職場の障害者雇用で事務員として勤めているのですが、同僚には彼女の仕事っぷりに不満を持つ方もおり、辞めるように働きかける同僚もいました。

「無理して仕事をするんじゃなくて治療に専念したら?」

彼女を心配するような声かけをするのですが、国が指定した難病ですから病院での治療のしようはありません。

東洋医学や民間療法など週末には良いと言われた治療法を試してきたのですが、劇的な変化はみられませんでした。

だから仕事を辞めて治療に専念したところで、まずはお金が必要になってくるわけです。仕事がないとお金は稼げません。そして毎日受けられるほどの充実した治療法もないわけです。となると、ただ家にこもってしまう生活が始まってしまいます。

また出かけるときに介護タクシーが必要な彼女から仕事を取ってしまったら、タクシー代の捻出も難しくなってしまいます。

本当に彼女のことを思って辞めることを勧めているわけではなく、仕事が皆ほどできない彼女が同じぐらいの給料をもらう事に納得がいかないから退職を勧めていたのだと思います。

結局仕事が無くなるということは、彼女から人間らしさを奪うことに繋がるわけです。

職場で心配されたり、仕事は無理ではないか?と言われたり、症状が悪化していると指摘されることは彼女からすると辛いことでした(付き合っている時はその話を聞かされるだけでも私も辛いものがあった)。

優しい人々

このようにお金がかかると人は変わってしまうことを痛感したのですが、街に出たときは人の暖かさを感じることも頻繁にありました。

リハビリで運動施設に通っていたとき、出入り口の前になかなかの階段がありました。

彼女の足の運びが良いときは手すりに捕まって一歩ずつ時間をかけて上がっていくのですが、それができそうにないときには彼女を私が担いで階段を昇っていました。

すると必ず手伝ってくれる人が出てくるのです。

皆さん車いすを階段の上まで運んでくださりました。

声をかけてくださるのは年配の男性から若い男性、また若い女の子と、老若男女問わず助けてくださいました。この世界には優しい人もたくさんいると思いました。世の中捨てたものではありません。

また、ちょっとした段差があったときに車いすの前輪が引っかかることがありました。

どんっ!という衝撃が車いすを掴む私の両手に伝わったときには時すでに遅し。

乗っている彼女だけがミサイルのように飛び出し、ゆっくりと目の前で落ちていくのでした。

街中は人の目が多いのですが、駆け寄ってきて「大丈夫ですか!?」と声を掛けてくださる方が必ずいました。

日本人は他人に干渉しない。困っている人がいても見てみぬふりをすると思われがちですが、そんなことはありません。

昔、2人で旅行に行ったときのことです。
新幹線のホームで彼女に待っていてもらい、私は昼食の買い出しに行いきました。すると、乗る予定だった新幹線が入ってきたのです。急いで彼女のもとに戻ると彼女がいません。

慌てて車内を駆け回って探していると、私たちが座る予定の座席に彼女と知らない男性が2人いました。男性たちが彼女の車いすを押して誘導していたのです。

ホッとして声を掛けた途端に男性たちはクモの子を散らす様に立ち去って行きました。このように知らない人も助けてくださるのです。

彼女とお付き合いすることで人の優しさを垣間見ることもできました。その経験は宝物になっています。



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