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文化的景観や重要文化財、生物多様性などの調査や保護、活用の仕事をしています。個人では地…

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文化的景観や重要文化財、生物多様性などの調査や保護、活用の仕事をしています。個人では地元の中山間地域を舞台に私設図書館を運営したり、中国山地及び瀬戸内の離島を中心に過疎地を歩いたりしています。農学修士・Digital Archive Creator

最近の記事

中国山地で和牛が盛んに飼育されていたことの意味

中国山地と和牛。かつて和牛は、中国山地に暮らすの農家の多くで飼育され、人々の暮らしにおいて欠かせない存在だったのは間違いありません。   奥出雲のような放牧に適した山間部では、和牛が多数飼育され、農家の経験に基づいて盛んに和牛の改良がおこなわれて、優良な牛を生み出してきましたし、それを象徴するかのように、たぶん奥出雲で最も交通量が多い交差点には、牛の銅像が置かれています。   一方で、重要な役割を果たしていた割には、史料的な制約や、特に横田町誌を編纂した時代は、牛を飼う慣行が

    • 文化と遺伝子の共進化

      個人的に、今、関心を持っている分野の一つが、文化と遺伝子の共進化です。 通常、生物がそれまで生きてきた環境と異なる環境に進出するときは、遺伝子の変化によって、新しい環境に適応する必要があります。このために、もともと同じ種の生物でも、異なる環境に適応したことによって別種になってしまうことも多いです。しかも、遺伝子の変化は時間がかかるので、異なる環境への進出には時間がかかります。   一方で、人間は、たった1種で温かいところから寒いところまで幅広い環境に進出しています。これを可能

      • 4Kモニターを買うまでの軌跡

        31.5型の4kモニターを買いました。 わりと長い期間、買うかどうか迷っていたのですが、買う決心がついたので買いました。 なぜ、買う決心がついたのか?ここに書いておきたいと思います。 ●4Kが欲しかったポイント ①既存モニターが壊れたので新しいのが買いたい。 ②どうせならもっと解像度の高いモニターがほしい。 ③4Kくらいの解像度があれば作業領域がふえて、作業がしやすそう ④4Kモニターだいぶ安くなってきたしね! ⑤撮った写真をもっと解像度高く見たい。(4Kでも

        • 島根と古代の朝鮮半島、そして製鉄

          日本書紀には『素戔鳴尊、帥其子五十猛神、降到於新羅国、居曾尸茂梨之處。乃興言曰「此地、吾不欲居。」遂以埴土作舟、乘之東渡、到出雲国簸川上所在、鳥上之峯。』(スサノオノミコトとその子イソタケルは、新羅の国のソシモリに降り立ったが、「ここに私はいたくない」と言ったので、埴舟を作り、東に渡り、出雲の国にある斐伊川の上流、(現在の奥出雲町にある)鳥上の峰に至った)と、古代朝鮮半島とのつながりを思わせる記述がありますが、島根県内こうした記述に関連すると思われる史跡が、各所にあります。

        中国山地で和牛が盛んに飼育されていたことの意味

          奈良時代の仁多郡役所

          奈良時代に編纂された出雲風土記によると、当時の仁多郡(現在の奥出雲町)の長官である大領は蝮部臣が務めていたと記載されています。当時の仁多郡の郡役所は、現在の郡(こおり)地区にあったと考えられています。今は特に町の中心というわけでもなく、かつてここに郡の中心があったとは、一見して想像しにくいのですが、この周囲には、郡役所と関連すると考えられている様々な遺跡や地名が存在しています。 まず、「郡(こおり)」という地名自体がそうですね。1300年以上前の奈良時代に郡役所があった痕跡

          奈良時代の仁多郡役所

          年鑑「みんなでつくる中国山地」発刊へ

          このたび、年鑑「みんなでつくる中国山地」を発刊することになりました。 中国山地は「過疎」発祥の地です。昭和30年代に始まった中国山地の人口減少は、昭和38年(1963)の豪雪以降の度重なる災害をきっかけにいっそう促進され、昭和42年(1967)には、初めて国の文書に「過疎」と言う言葉が記載されるようになりました。 中国山地に住み、中国山地について深く学んでいくと、たたら製鉄がこの土地に与えた影響の大きさに気付きます。 中国山地からなぜ急速に人がいなくなったのかという問い

          年鑑「みんなでつくる中国山地」発刊へ

          岡山県笠岡諸島の大飛島へ

          大飛島南部の洲港へ 笠岡市指定史跡 大飛島洲の南遺跡 大飛島のゲストハウス Ile d'or Cafe&Guesthouse 海辺でクラゲ発見!

          岡山県笠岡諸島の大飛島へ

          岡山県笠岡諸島の六島へ

          岡山県にある笠岡諸島の六島に行ってきました。 六島の湛江港 航海安全を祈る金比羅さん 六島湛江集落のメインストリート。六島には自動車がない。 宿泊させていただいた「島小屋」 六島の展望台(丘の上) くちなしが植栽されている通りをとおって隣の前浦集落へ 大鳥神社 旧六島小学校 前浦集落 前浦にはビールの醸造所があった。 フナムシ発見! 夕暮れ さよなら六島!

          岡山県笠岡諸島の六島へ

          曖昧さの学び

          対象を区別して考えるというのは、人が日常的にしている行為の一つです。人間は対象を区別して、その差異を見つけることによって、対象の特徴を認識するので、人間の認知行為は、区別する行為なくしては成り立たないのではないかと思っています。 ところが、現実の世界を見ると、ある対象が綺麗に全く異論なく区別できることはあまり多くありません。連続的なグラデーションの中の1点に線が引かれ、両者の境界線に注目すると、その違いは曖昧ということも少なくありません。動物と植物の間、生物と無生物の間、

          曖昧さの学び

          宗像大社をめぐる~中津宮・沖津宮遥拝所編~

          神湊港からフェリーに乗り、宗像大島に向かいます。 いざ、本土を離れて島へ。 途中、地島を右手に見ることができます。 大島到着。ここでレンタサイクル(500円/日)を借ります。 素敵な島の景観 まず訪れた場所は沖津宮遥拝所。条件がよければここから沖ノ島を眺めることができます。 天気はいいですが風は強く、波は高いです。 ざぱーん! そして、遠くの方にかすかに沖ノ島が見えます。 今日は視界が良好なので見ることができました。 最後に中津宮に参拝 そして島を離れる

          宗像大社をめぐる~中津宮・沖津宮遥拝所編~

          宗像大社をめぐる~辺津宮編~

          北部九州の特徴的な神社の一つに宗像大社があります。この神社は、沖ノ島の沖津宮、宗像大島の中津宮、本土の辺津宮の3つで構成されていて、これを結ぶ経路が、古代において大和朝廷が朝鮮半島と交流するのに用いた主力航路の一つであり、この航路を移動する航海術に長けていたのが、海人族、いわゆる宗像一族とされているようです。 宗像大社辺津宮正面 独特な手水鉢 宗像大社辺津宮 こちらが新宝館 沖ノ島出土品を中心に展示されており、展示品のほとんどが国宝指定で見ごたえあります。 辺津宮の

          宗像大社をめぐる~辺津宮編~

          15km離れた船通山の山頂

          15km離れた船通山の山頂

          延命の水の知られざる守り神

          三段式スイッチバックで有名な、奥出雲町にあるJR出雲坂根駅 ここのもう一つの見どころが、こんこんと湧き出る「延命水」 島根の名水百選にも選定されています。 この延命水の説明板には、「この水は、冬暖かく夏に冷たい湧水です。鉄道開通までは、この延命水付近は清水堀と呼ばれた湿田でありました。古老の伝えによれば、昔、狐や狸が多く、しかも寿命100年をこえたと思われる古狸が好み飲用したことから、里人も長寿の霊水と称して飲用をはじめ、そのうち延命の水と名付けられたと伝えられています。

          延命の水の知られざる守り神

          巨石を訪ね、かつての聖地に触れる。

          島根県の山間部、奥出雲町にある「権現山」の巨石を訪ねました。 加食集落から尾根伝いに続く登山道を歩いて、巨石を目指します。 30分ほど歩いて、ようやく巨石のある場所に到着。まずは天然石を彫り込んだ手水鉢がお出迎え。 この手水鉢がすごい。天然石を線状に切って岩清水を集め、それを手水鉢に引き込む構造になっていて、手水鉢には清らかな水が常時湛えられるようになっている。 この手水鉢の上には、寄進者の名前と年号が掘ってある。『文政六年(1823) 寄進 内田捨三良』と読める。こ

          巨石を訪ね、かつての聖地に触れる。

          本島で塩飽大工の作品群を訪ねる。

          本島は、香川県丸亀市に所属する塩飽諸島の島。 フェリー「ほんじま丸」にて島へ。 船内には「香川のトイレ遺産」の一覧が。気になる。。。 本島には、香川県で唯一、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている笠島集落があります。 今日の宿は、笠島集落内にある近世後期に建築された民家を宿泊施設として活用している「大倉邸」。 大倉邸の入り口 大倉邸の上の間 釜戸の神様も祀ってある。 大倉邸裏庭の井戸 笠島集落内を散策。大倉邸の前の通りは「マッチョ通り」と言う。 マ

          本島で塩飽大工の作品群を訪ねる。

          さぬき広島への旅

          瀬戸内海の離島、さぬき広島の記録 さぬき広島は、香川県丸亀市に所属する塩飽諸島最大の島で、人口は300人強(2018年時点)。島の名前は「広島」なのですが、それだと、広島県広島市と間違えそうなので、「さぬき広島」として表記します。 さぬき広島への移動手段は、人だけが乗れる客船と、自動車も載せられるカーフェリーの2種類があるようですが、今回はカーフェリーに乗船。 島に着くと、「ようこそさぬき広島へ」と書いた大きなゲートがお迎えしてくれます。 今回泊まるのは「旅ねこ」とい

          さぬき広島への旅