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さよなら☆ホットホリデー

2021年7月9日金曜日、私は8年務めたこの会社を去ることにしました。

2000年のオリンピックの時にオーストラリアに渡り、シドニーでガイドや旅行のオペレーション業務に携わり、オリンピック後、ケアンズに移動。

ケアンズでもガイドになり、ビジネスビザ2度更新、日本人と結婚して永住権取得。39歳の時にホットホリデーに転職。それから8年。

ケアンズの生活に慣れすぎていたので、新たな挑戦をしたいと思っていたところ「ホットホリデーは世界のツアーをやっているんですよ!」という友人の言葉でホットホリデーに興味を持ち、”この先輩となら楽しくできるかも?”と思った人にも出会い、研修スタート。

入社して驚いたのは、まだ研修中の私を置いて、14時ごろにはケアンズの先輩たちは仕事を終えていなくなってしまったこと。

でも、他の場所で働いている人はちゃんといて、私は、アフリカのモーリシャスにいた方と、すでにホットホリデーを辞めていたけれども、会社に住んでいた男の子にカスタマーサービス業務を教えてもらいながら、なんとか業務をこなしていった。

しばらくして、仕事のスピードが遅いと言われた。

理解しないとスピードなんて出せないと思って、元来負けず嫌いの私は、夜中の12時過ぎるまで、会社に一人残り、落ち着いて業務をして、理解しようと努めた。そしたら、最初は分からなかった英文も、そんなに難しいことは言っていないというのが分かり始めた。

先輩方はそんな私の頑張りを認めてくれたが、

一人の先輩は「がんばってくれているのは十分わかるけれども、この処理はダメなものはだめー!」とはっきりしかってくれた。

ガイド時代は会社の中では勤務歴が長く、優等生と言われていた私は心底驚いた。

「ちゃんと仕事ができる人がこの会社にはいるんだー!」その先輩に少しでも近づきたいと思った瞬間だった。

カスタマーサービス業務を理解したら、スピードもついてくる。私が周りも見え始めたころ、この人となら仕事が楽しくできると思っていた先輩が

「私、シドニーに移動するからケアンズのことはよろしくね!」とケアンズを去った。

「えーそんなつもりじゃなかったんだけど」と私は思った。

それから不安ながらも業務をこなしていると、上司にオペレーションのスパーバイザーに任命された。

でも、私は「えー、そんなつもりはありません」と一度断った。それを上司はなぜ断るのか理解できないようだった。

「私は腰かけで働いているのか?」と上司が聞いてきたと、先輩に聞いた。

腰かけで働いているのであれば、最初の段階で真夜中まで仕事はしない。

上司に「私は腰かけのつもりで働いていません!!!」と伝えたら、

上司は「上の立場になったら違う世界が見れるようになるよ!」と言った。ケアンズでの生活に飽き飽きしていた私は違う世界を見てみたいと思った。

それから、優秀な部下と仕事を進められ、支店を増え、気づいたらいろんなタイプのスタッフがいる会社になった。

そして、無我夢中で走り続けて、エアーズロックの登山終了し、これからどうするか?アフリカに進出?!という時期にコロナ禍になったが、会社はこれからも続く。

でも、私はこの世界から途中下車してみたくなった。オーストラリアに来て21年経つのに、オーストラリアの会社で仕事をしたこともなければ、オーストラリア人と接することも少ない。

今後の人生、日本にいつか帰国するかもしれないが、

「オーストラリアでこれができるようになりました!」という事を見つけたい!

最後に、今まで仕事でかかわったすべての人にお礼を言いたいです。

「ありがとうございました!!!」

ケアンズ本社 みわこ

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