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【自己紹介】 長谷川 博章

こんにちは。RELATIONSの代表をやっている長谷川(@hhiro1224)です。

1. 趣味

自分らしさを伝えるために、まずは趣味について紹介したいと思います。ただ、普通に趣味を紹介するだけでは「ふーん。そうなんだ。」程度だと思うので、大学時代の趣味と比較してお伝えします。変遷を辿ることで自分らしさがより表現できるのではないかと思いました。

大学時代の私を知らない人に、大学時代の話をするとかなりの確率で驚かれます。しかし、過去も含めて全てが自分自身なので、臆せずに自己開示していきます。

【 大学時代の趣味 】

「飲み」
勉強もする気がなく、ひたすらに大学の仲間と話したり、飲んだりするのが好きでした。人に関心が強いのは、今も変わらず。

「DJ」
いろいろと動機はあったのですが、モテるためにDJをやっていました。髪型は、アフロだったり、ソフトドレッドだったりと気が向くままに選択していました。

「ヒッチハイク」
毎年、夏に大学の仲間と恒例の淡路島ヒッチハイク旅行。20人前後のメンバーで、テストが終わり次第行くのですが、その開放感が最高でした。

「たばこ」
毎日20本くらい吸っていました。学生時代でもそうですし、社会人でもタバコ部屋でのコミュニケーションはすごく役に立ちました。第一子が32歳の時に生まれて健康のことを考えて、禁煙しました。

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人と違うということを表現するなど少し尖りたい年頃でした。趣味の大半も仲間との時間を育むものが多く、人と関わるのが好きでした。その人が、どういった人生を歩んできたのか、これから何をしていきたいのかは今でも大好物です。そして、一緒にいる仲間が大好き。そういう部分は今にも引き継がれているのかなと思います。

【 現在の趣味 】

「ランニング」 
月100kmのペースで、この7年間続けています。マラソン大会などには特に興味はありません。家付近の川沿いのコースを季節の変化を感じながら走るのがすきです。以前は、500mくらいの距離でも「タクシーに乗ろう!」と言っていました(笑)

「瞑想」
毎朝、30分程度やっています。隙間時間や移動時間なども。やると色々スッキリします。

「読書」
人そのものに関する関心が高まり、哲学、脳科学、心理学、意識、組織開発、人材開発、リーダーシップ、マネジメントなどを月10冊程度読みます。学生時代はマンガは好きでしたが、本を読むのは好きになれず、ほとんど読まない人でした。

「子育て」 
子どもの成長を実感することが日々のエネルギー源になっています。自ら目標設定してもらって、そのサポートをしたり、対話したりしています。子どもの場合は、吸収力や変化への適応速度が早いので、日々驚きの連続です。

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このように趣味という切り口でも、大学時代から現在への変化はとても急激ですが、その時々を真剣に楽しみながら生きていたらこんな感じになりました。(笑)
こんな私ですが、宜しくお願いします!


2. 経歴

自分の生まれた環境の特徴の一つは、おやじもおじいちゃんも起業家だったことです。親戚も起業家が多く、正月の集まりは仕事の話をすることがとても多かったです。

おやじは、不動産関連の事業を展開していました。バブル絶頂期は、マンションを所有し、その最上階を自宅として改装し、広さが250平米くらいあるような家に住んでいました。入り口から大理石の特別仕様でした(笑) バブル崩壊によって少し痛い目を見るものの、かなり贅沢な幼少期を過ごしていました。

おやじの事務所が、マンションの2階にあり、暇を見つけては、そこへ遊びに行き、事務のお姉さんに遊んでもらうことが日課のようになっていました。おやじの会社を子供ながらに見ながら、中小企業ならではの悩みや人間関係のドロドロした感じも結構鮮明に覚えていたりします。

もう一つ特徴的なことは、3世代家族で、育ったことです。私のおじいちゃん、おばあちゃん、おやじ、おかん、妹、居候の親戚という家族構成で、いろいろな人間を知れたことが今の性格の形成につながっていると思います。おやじは、極限まで自由奔放にさせてくれたなと感じています。どんなことを言っても受け止めてくれていたように思います。大家族やおやじの特性が、人に興味を持ち、自由に自分の好きなようにやりたいという気質が生まれた要因だと自分では感じています。

大学時代の話も少ししましたが、当時の自分は、なんか真面目に働くということがかっこ悪いし、なんか自分がそんなことをやっていくイメージがつかず、就職活動は正直いやでした。「なんで今決めなあかんねん」というな思いもあったと思います。意識低い系の学生だったと思います(笑)


そのような時期でも色々と迷うことはあります。そんなときに、おやじが中小企業の社長たちとの食事会に誘ってくれました。そこで社会も知らないガキが生意気なことを申し上げ、適切なお叱りを受けて、そのお叱りをきっかけに色々と模索した結果、新卒でベンチャー・リンクという会社に入社しました。2012年に事実上の倒産となった会社ですが、当時、そのキャッチコピーに一目惚れしました。それは、「企業家輩出機関」という言葉です。幼少期のおやじやおじいちゃんを見ていたときの記憶がオーバーラップして、自分も「いつか起業したい」という思いもあり、「これや!」となりました。

【 新卒入社〜RELATIONS創業までの経緯】

2003年3月 関西学院大学 総合政策学部卒業
2003年4月 ベンチャー・リンクに新卒入社
      フランチャイズの加盟開発営業 4年
      海外のフランチャイズ開発営業 1年
      鈑金修理フランチャイズ事業の責任者 1年
2009年2月 RELATIONSを創業。そして今に至る。

このように、ベンチャー・リンクに新卒入社をすることになりますが、大学時代の趣味を見ても分かる通り、働くことは趣味程度で、本業は、仲間とええ酒を飲んで、楽しく暮らせればそれで良いと当時はほんまにそう思ってました。そんな甘ちゃんが、ベンチャー・リンクに入社すると、様々なカルチャーショックを受けることになります。

ベンチャー・リンクって知っている人も少なくなってきているかもしれませんが、「ほんまもんのブラック」でした。今となっては時効だと思うので書きますが、平気で朝3時ごろまで仕事して、寝袋で寝て翌朝9時から働く的なのが私の職場では常態化していました。本当に優秀でタフな人が多かったです。

一番の思い出は、配属初日の夜の出来事です。終電で帰ろうと駅へ向かって歩いていました。その時に、上長から電話が鳴り、「俺まだ帰ってへんけど」という恐怖のラブコールを受けたことを今でも強烈に覚えています。「えらいところに就職したな」という感覚でした。

そんな自分が変化したのは、7月7日、七夕です。入社して3ヶ月が経とうとしたときです。実は、大学3年生のときにがんと診断を受けていたおやじが、闘病の末に他界します。56歳という若さでした。

今生きてたら一緒に朝まで語りたいと心から思います。私にとっては本当につらい、早すぎる別れでした。この出来事が自分を大きく変化させてくれました。自分が家族を支えないといけないという自覚や責任が芽生えました。そこから、ブラックの巣窟(笑)のような場所で、自分の限界へ挑む生活をすることになりました。がむしゃらに働いて2年目でセールスマンオブ・ザ・イヤーという全社のセールスの2位を取ることができ、3年目に1位になりました。

成果を創出することができ、達成感はありましたが、それは持続しませんでした。給与は増えたり、褒めてもらえたりするものの、なんか物足りない感じが続きました。その原因は、私自身の未熟さもあるのですが、売上や利益の成長を第一に求め、顧客を置き去りにしているケースが全社的に目立ち始め、理念との整合性を感じづらくなっていたからだと思います。一方で、自分の中でも「なぜ働くのか?」ということへの答えがしっかりと咀嚼しきれていなかったことも大きかったように思います。


3. なぜRELATIONSを創業したのか

そんな中で、26歳のときに鈑金修理のフランチャイズ事業の責任者に任命されました。この出来事がRELATIONSの創業へとつながっていきます。

まずやったことは、鈑金修理のフランチャイズの加盟営業です。ここは、得意領域なので、とても順調に進みました。関西を中心に5社から契約を頂戴しました。そして、立ち上げ支援を一気通貫でやっていくことになります。

ここで、大きな問題が発生します。
鈑金修理のフランチャイズ本部とベンチャー・リンクとの間で事業シミュレーションの不一致が発覚しました。お客様に当初提示していたシミュレーションと事実が一部違っており、その情報に基づいて契約をしていました。

発覚時にはすでに、お客様も人を採用し、事業をスタートしていたので、ベンチャー・リンク側の人員を追加投入する意思決定をし、新卒メンバー中心に20名の体制で立ち上げ支援をしていくことになりました。

変化が求められた結果ですが、これにより進むべき道がはっきりしました。退路を断って、一心不乱にお客様のために支援するのは不安でしたが、逆にめちゃくちゃ楽しかったです。

直也(創業メンバーの1人)の自己紹介にもありますが、当時は立ち上げるためには何でもやりました。ゼロベースから営業リストを作成し、テレマしたり、大阪市内中を自転車で奔走し、鈑金工場や保険代理店(自動車の修理依頼をもらうため)に飛び込み営業をしたり、皆で試行錯誤しながら事業の立ち上げに奮闘する毎日でした。

私も26歳だし、メンバーも新卒1年目のメンバーが大半だったので、はちゃめちゃでトラブルしか起こらない日々でした(笑) 体はめちゃくちゃ疲れていましたが、でも不思議と心はすごく充実していました。当初怒っていたお客様も自分たちが懸命に働く姿を見て、次第に協力してもらえるような関係性になっていきました。

意義と仕事が結びつき、素晴らしい仲間がそこにいる。そういう状況が揃えば、爆発的な成果が出るし、かつ、楽しい、という体験をすることができます。今の「会社に生命力を」というパーパスにもこの体験が強く紐づいています。

そして、さらに、もう一波乱が起こります。ベンチャー・リンクの業績が急激に悪化をし、当時の人員体制を維持することができなくなりました。会社としての判断は、「20人中私を残して19名を別会社に出向させなければならない」というものでした。

お客様の顔を思い浮かべると、ここで支援を止めるのがどうしてもかっこ悪く感じましたし、将来的に後悔しそうだと感じました。その話を当時のメンバーに話し、共感してもらって、最終的に8人のメンバーで起業することを選択しました。「当時支援しているお客様との信頼関係」「起業したメンバーとの信頼関係」を重視したいという想いから「リレーションズ株式会社」という名前にしました。(2018年に英語表記のRELATIONS株式会社に事業継承し、現在に至ります)

それが今のRELATIONSのはじまりとなります。


4. RELATIONSでの変化

最後に、創業後のRELATIONSを経営する中での、自分自身の内面的な変化を書いてみます。RELATIONSでの十数年間は自分の内面を少しずつ掘り下げる時間だったように感じています。

私は、組織やコミュニティに信頼関係があることが重要で、一人ひとりがありのままに存在することを大事にする人間だと思います。これは、三世代家族の中で育ったことや大学時代の経験が強く影響していると思います。家族や友人、学校などは、利害関係が少ない環境下なので、良好な関係性を構築しやすいというのもあり、自然体の自分で居ることができていました。

一方で、社会に出て、会社に入ると成果を第一に追い求めたり、給与や評価などいろいろな利害関係を気にしたり、物事への執着などが生まれてきます。そうすると、人間らしい関係性が構築しづらいことに大きな違和感を感じていました。しかし、成果をあげるためには、自分も成長しないといけないし、チームから必要とされないのではという焦りを常にもっていました。だから、自分にムチを打ち続けて走っていたような感覚があります。自分ができないとか価値がないというのを露呈するのも嫌で、それを回避するために努力してきたというのが心の奥底の本音だったように思います。

このあたりはマネーワークでさらに深めている体験をしているので、こちらの記事をご参考ください。

鈑金修理のフランチャイズ事業の推進やRELATIONSの創業時には、私が追い求めていた関係性やありたい組織の姿が表れていたように感じています。しかし、この状態を成長しながら高いレベルで維持することはとても難しいことだと経営していく中で痛感しました。規模が拡大することにより、価値観は多様化するし、求められるスキルも変化します。自分の力不足を何度も痛感しました。

お恥ずかしい話ですが、実際にパーパス(ミッション)も4回変更しています。

【 経営ミッション(パーパス)の変遷 】
創業1年後:「人が地球とともに歩み豊かさを分かち合える未来を創造する」
創業3年後:「b++(ビープラス)」
創業8年後:「ええ会社をつくる」 
創業13年後:「会社に生命力を」 

すごく壮大なものから、少しずつ等身大の自分に内在している言霊に置き換わってきたように感じています。一つ一つのエピソードも面白いので、また、機会あれば聞いてください。特に「ええ会社をつくる」や「会社に生命力を」へとパーパスを変更したことは自分の中でも大きかったです。

たとえば、「ええ会社をつくる」というミッションを掲げるまでに全社員から360度フィードバックを受けて、1年かけて全社で丁寧に対話しました。
その時期の経営者としてアンラーニングした経験や想いは別のnote記事にも書いています。

現在の「会社に生命力を」にパーパスを変更するときも、創業メンバーでのシステムコーチングを経て、創業メンバーの離脱や多大な投資をしてきた事業を手放すなど、大きな痛みのある意思決定が伴いました。
会社のパーパスを探求するプロセスや「ええ会社をつくる」から「会社に生命力を」への変化の経緯はこちらの記事をご覧ください。

そんな経緯もあってこの「会社に生命力を」というパーパスは自分の心から生み出したい未来像と一致していて、日々この言葉に勇気づけられて、たくさんのエネルギーをもらっています。

こういう一連の体験をした結果、自分自身の執着を手放し、ありのままの自分を受け容れていくことが次第にできてくるようになってきました。いろいろな本でもこういった内容はよく書かれていますが、自分自身の経験として体感できました。人はどうしても過去の経験に縛られたり、自分を大きく見せようとしたり、利己的になってしまったり、誰しもそんな経験があると思いますが、結果として自分で自分を生きづらくしているように思います。心の底から楽しい人生を送っていくためには、自分の本当の声を聞き取り、そこに正直に生きていくことしかないなと思います。そういった意味では本当に恵まれた環境で過ごせたなと思います。今まで関わってくださった皆さんに感謝です。

誰かのために生きるのではなく、自分の心の声に正直に生きていく人が増えていけば、もっと人に優しく、楽しい世界になっていくのではないかと個人的には思います。一人でも多くの人が自分らしく楽しく働ける世の中にしていくためにも、「生命力のあるイキイキとした会社」で溢れる世界を実現していきたいです。



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