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なんとか朝まで乗り越えて、そうしてまた会いにきてよ

最近、よく、自分の「相対的価値」について考えるのです。
そう、いままであんなにも固執していた「絶対的価値」でなく。


このnoteを使いはじめて、もう3年。
幾度か"想像もつかないくらいたくさんの人に読まれた"という体験をしました。
びっくりして二度見してしまうほどの数字を目にしたこともありました。

だけど、ある日気づいたんです。

いわゆる"バズった"ものたちよりも今は、どこからか、なぜか、この記事に訪れている人たちの数がいちばん多いって。

なので、どうしようもない夜にたどり着いてくれたあなたに、ちゃんと本当のことを伝えます。

一旦、質問をしますね。人が自殺をしようとすると、そのあとどうなると思いますか?

「ちゃんと死ぬために、生は限りなく続くのだ。」

そう記したはずの半年後、わたしは「失敗」をして、救急車で閉鎖病棟に運びこまれました。

13日の金曜日、土曜日から、日曜日、祝日の月曜日。「ドクターがお休みだから」という理由で、3日と半日ほどの時間をベッドに拘束されて、空中を見つめ続けることになりました。

さんざん自問自答した答えをくつがえせるわけもなく。腕も足も動かせない棒きれのようなからだで、ただひたすらに天井のブツブツの模様を数えることになりました。

もう金輪際あいたくないとお別れを決めた、自分とたったふたりきりで。

けたたましいサイレンの音のなか、「もしかしたらだれかが助けてくれるのかも」と一瞬の希望をいだいたのも本音です。

しかし、現実はすでに諦めていた通り、もちろん甘くはありません。

生きるための活動を拒否して、なんの食事も口にせず、排泄もせず、そうしたところで、たまの見まわりにきた看護士たちはしっかり記録に「マル」をつけます。
だって呼吸さえしてれば、死んでさえいなければ、紙の上のことはいくらだって誤魔化してしまえるんだから。

「だれか話を聞いてくれるのかも」とか、「悪いやつをこらしめてくれるかも」とか、「そんなに思いつめてたなんてと自分を省みてくれる人もいるかも」なんて神話、ウソ。嘘嘘嘘。

「自殺防止ダイヤル」にも「いのちの電話」にも繋がらなかったでしょ?

エピローグは、ただの結末の後日談。

生きることを諦めてるヤツを信用してくれる人なんて、差し伸べられる手なんて、どこにもないんです。

つまりは結局、わたしがわたしを助けてあげるしかありませんでした。
わたしを助けるために、わたしが生きていくしかありませんでした。

だって、「死ぬのに失敗すれば生き地獄に強制送還」オア「今度は確実にヤるか」、その2択しかないって知っちゃったんだから。

多くの人づてに伝わったわけでもなく、検索表示への対策を仕込んだわけでもなく。

そんな記事を見にきてくれる人がこんなにもいる理由は、きっとたったひとつ。

どうしようもなくさまよっていただけのことでしょう?

でも、わたしはうれしかったんです。

すこし有名になったからとちやほやして、急速に失われる興味よりも。

理路整然とつくりあげた、商業価値のためのテキストよりも。

たまたま見つけてもらえる文章が、だれかにとっての栄養になるかもしれないってことが。


だから、約束をしませんか?

だれにもだれかを救うことはできないけれど。
わたしもあなたを助けてはあげられないけれど。

せめて今夜も乗り越えてみて、朝の景色をもう一度だけ見てみようって。

やりきれない気持ちを持て余したら、また何度でもここにくるって。

わたし、気づいちゃったんです。

もしかしたら、自分が死んでもこの世に残るモノなんてなにも産みだせないかもしれない。

けど、ねえ、もしもあなたがこの文字を目にして踏みとどまってくれるなら。

それはわたしの生きた証になりませんか?


もしも、ワガママを聞いてくれるなら。
すこしだけ、あなたの人生をわたしにお裾分けしてください。

そして、いつか見つけて伝えたいんです。

「あのとき、死なずに済んでよかったよ」って。
「生まれてきたことも、悪くないかもな」って。



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