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そんな苦悶するなか、唯一僕がワクワクしてしまうもの…

それは大昔の話し

僕が中学2年生になるまでの夏休みのこと。

毎年、父親のお盆休みを利用して

父親の実家であり、僕にとっての田舎である新潟県中頸城郡(現在は上越市)へ遊びに行くのが恒例行事となっていた。

父親が勤めていた呉服問屋の社名「〇〇○K.K.」(文字はなぜか金色、当時は株式会社を「K.K.」と表記していた)が入ったグレーの弱いメタリックカラー(いわゆるシルバー)をしたライトバン(今ならステーションワゴンと呼ぶのか)が家族のドライブを快適にしてくれていた。

余談だけれど、この時の楽しかった思い出が僕の中でいつまでも生きていたため、大人になってから乗った車の中には、Honda「アコードワゴン」がありHonda「シビックシャトル」もあり、DAIHATSU「マックス・クォーレ」(車長は圧縮されたように短いが、ちゃんと荷台が設備されていた)が存在していた。

片道何時間もかけて父親が1人で運転をしてくれた。当時は関越道なんてものは開通する気配もなく、母親は免許を持っていなかったからだ。

早朝、家に祖母(母親の母)を残し、鳩が規則正しく鳴く時刻に、夜と朝の交わりがいちばん美しい空を眺めながら青梅街道を出発した。

道中は楽しかったけれど、苦しかったこともあった。僕は車酔いをしやすい体質だったのだ。そのおかげで、山道に入ると少しの不安がぷくぷくと沸騰する直前の鍋の中の気泡みたいに生じてきた。

そんな苦悶するなか、唯一僕がワクワクしてしまうものが山の道路の脇にあった。

それは、「もろこし」「おいしい」「あま〜い」と書かれた看板を目にすることだった。道路の脇で、焼きもろこし屋さんがいい匂いをさせながら、マラソン大会の給水所みたいなオアシスを作り出していたのだ。

しかし、実際に車を止めて買った記憶はないし、あえておねだりした記憶もない。きっと、お願いしたら優しい父親のことだから車を止めて買ってくれたと思うのだけれど。

まあー父親の実家(田舎)に着けば、大量のとうもろこしが大きなお皿にキャンプファイヤーで積まれた木々のように出迎えてくれるから、どこか心の余裕があったのかもしれない。

そんなこんなで、何を言いたかったというと

僕は何十年も経った今でも、とうもろこしを見たり食べたりする時に、記憶のスクリーンを瞬時に通過する。

それは、あの夏の刻の「山の道路の脇にあった、焼きもろこし屋」の看板を、車の窓から顔を出しながら爽やかな山の夏風を浴びていた情景だ。

僕は「もろこし」を食する時には必ず、あの時の情景が映し出されたスクリーンを、風が暖簾をくぐるかのように通過している。

だから、僕にとっての「もろこし」は美味しい以上であって、見えないけれど何とも言えない何かがソコにあるからなのだ。

きっと、このことは僕の命が絶える時まで続く気がしている。

今年も「もろこし」の旬が訪れました。

さあ、いただきましょう。



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