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ペルソナ3の空中分解感について

ちょっとした考察?まとめ?


空中分解

3の仲間たち、特別課外活動部の評判としてわかりやすいものとして「空中分解」があげられることが多い。まずは何がこの空中分解を感じさせるかをかみ砕いてみたい。

分かりやすさのために仲良し軍団である4や5との比較をしてみよう。彼らも意見が割れることはあるがだいたいは山場に一回程度である。この理由としては彼らは目的を共有しているからといえる。あとは3で空中分解しすぎたから。

「真相を暴く」「世直しをする」という大局的な目的が最初にあり、そのための手段を行使する過程で仲間が増える。仲間もまたこの目的に賛同し話が進んでいく。故に彼らが意見を戦わせるのは目的やそれを成す手段に疑義が挟まれる時だけなのだ。そしてそれは山場に一回持ってくれば十分だというわけである。

これに対して3はどうだろうか。まず手段というか必要として「影時間で戦う」ということが求められていて、それに対して様々なキャラが自分の目的をもって参入するわけである。

特別になりたい順平、父の無念を晴らしたいゆかり、父の贖罪を肩代わりしたい美鶴、過去のトラウマから力を得ることを目的に据えた真田、母の仇をとりたい天田、天田に負い目のある荒垣、居場所が欲しい風花、義理を果たそうとするコロマル、シャドウ討伐がそもそも自身のレゾンデーテルであるアイギス。

このように、彼らはそもそも目的が一致する組がほとんどない(似たようなものは見いだせるが)。目的が違うので、Todoに軌道修正が入ったりそれがそもそも間違っていたり、裏があったという話になると各人が異なる反応を示す。ようはこの反応のズレが空中分解感の正体だと考えている。

逆に言うと、目的にあまり問題が生じない場合は彼らは忠実に職務を果たす。なんだかんだ半数以上は満月シャドウ討伐に参加するのだ。大人らしい責任感と子供らしい跳ね返り、そういうものの間で彼らは揺らいでいるわけである。ジュブナイルだからこそできるビターな味付け、胸を張って3の魅力といえると思う。

メタ観点

ストーリーの流れはこの観点でおおむね理解できる。目的にブレがあるからこそ、手段そのものの是非を問うてくるストレガが主人公たちに相反する概念として敵役として存在する。物語の終盤で改めて目的を合致させ立ち向かう過程が「審判」のコミュニティとして表現されるのはシステムとストーリーのいい形での融和であると言えよう。そして主人公は命の答えへと至り物語は完結…

旧約・女神転生のエンディングみたいだね(あっちはしかし…)

空中分解あってこその3、しかしその極致でもあり一部で「絆を結んだはずの仲間たちの実に醜い争い…」とまで称されるフェス追加エピソードアイギス編が入ってくると事態は複雑になる。

台無し?めちゃくちゃ?

フェスに対する感想としてまず出てくるのはこれである。結婚後のシンデレラの不幸話を見たい人はそういないのだ。

筆者の意見としてはこれは与えられた問題の性質による仕方のないものであり、成長リセットなどではなく、加えて物語の完結に必要な工程だと考えている。

順を追って説明する。まず物語終盤でのニュクスに立ち向かうというのは必要に駆られた行為である。逃げようのない死だからこそ立ち向かわなければならない。外的な脅威があるので選択肢は挑む/挑まないの二拓に収まる。

これに対してエピソードアイギスでは内的な問題が問われている。全員が改めて主人公の死に向き合わなければならない。それをどう受け止めるか、どう解釈するかというのはそれこそ人の数ほどやり方があるものなので彼らの意見が分かれるのはある種当然といえる。そこに対してすべてを変えられる(可能性のある)手段が提示されることで本来は価値観の違い程度で済む話がややこしくなるし、それが争いに発展するのだ。

話の規模こそ内向きに小さくまとまっているが、問題の厄介さみたいなものは本編のそれより増しているのである。本編は台無しになってなどいない。主人公と同じ試練を全員が与えられ、そしてそれぞれがまた一歩成長したのである。

可哀想なことに意見を戦わせるうえで割を食ったキャラはいるが…ピンクの人はちょっとかわいそうといえる。

…でもまあ、あの性格だし、そこまでキャラが損なわれたような気もしないのでなるべくしてなったのかもしれない

とにかく!

こう書いて差し支えないと思うわけですよ。

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