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ようこそ

週末、突然だけどとコンサートに誘っていただいた。

バッハの代表作、マタイ受難曲。
しかもon Easter!

なんてこった!

これはお導きとしか思えず、
あった予定も、
これより大事なものはない、
即行きます!とお返事した。

知識も予習もなく、ただ3時間感覚に委ねる。

声や音の波動にあらゆる感情や過去や未来の場面やメッセージがエネルギーが溢れ迫ってくる。

マタイによる福音書の一部がテーマということで、帰って30年前の聖書を引っ張り出して読んでみる。

師に対して、自己防衛のための嘘や裏切り、集団意識の怖さ、人間のあらゆる弱さずるさ醜さの羅列が続く。
惜しみない愛を施してきた相手からこのことごとくの仕打ちに悲しみはいかほどだっただろうと凡人の私は思ってしまう。

万葉集にもおおよそ痴話喧嘩にすぎないような憎悪や嫉妬を露わに表現した歌が多くあったり、

古事記に至っては、神様たちの怒り狂ったり、泣きわめいたり、奔放な感情のままの残酷なまでの破天荒な言動にびっくりする。

どれも1,000年以上前に書かれたものだけれど、人の本質は変わってないし、むしろ今は複雑化してごまかしたりしてる間に感じなくなったり、異なる陰鬱さがあるようで、昔はずっとシンプルで正直であからさまに純粋なところがうらやましくもある。

世界中で守り語り継がれてきたこれらの記録に多くの方々が救われたり励まされたりしてきたのは、あの人でも、こんな私でも、の共感、からの解放に希望を見いだした部分もあるだろう。

古事記ではそのすったもんだの際に吐いた唾や流した血や排泄物からまで私たちが普段神社で手を合わせている神様がお生まれになったと書かれている。

マタイ受難曲でバッハが伝えたいテーマは、受難からの復活、受難の中の復活と言われている。

(個人的には、復活という元の状態に戻るイメージより、更新というupgradeであるはずだと思っている)

こんなちっちゃい、しょおもない私もいるんです、と受け入れ、認められた時、本当の救い主が現れる。

それは、自分の中に芽生える理想や真理、志。

この自分だからこそ見える光。

その光は自分の中にずっと感じていた。
そして今もっと感じていい、と。

この日、ホール中の振動を全身で受け取りながら私が感じていたのは、
このちっちゃいしょおもない私もいていいよ、
と歓迎してくれる大きな存在。

硬いと思ってたけれど実はふかふかの土、
冷たいと思っていたけれど温かな恵みの雨、
私には照らされないと思っていたけれど確かに平等に照らしてくれる恋い焦がれる太陽、
その歓びに気づけた瞬間、芽を出せる。

Mother earthに安心して根を張りgroundingしていく気持ち良さ、心強さ。

土の中で他の根っこたちと怖かったね、
と手を繋げたら、
地上の芽はさらにもっと光を感じる方へ
上に上に、太く太く、安心して伸びていける。

その種は自分の中にずっとある。
気づいて、可能性を信じ手をかけ続けてあげることを望んでちんと座っているこの種は、宇宙レベルの可能性を引き継いで来たかけがえのない存在。

その種自身として、
そしてその成長を誰よりも信じ見守り続ける存在として、

両方であれる自分でありたい、

あろうね、
と公演終了後ビールで約束、お祝い、乾杯。

もはや何教かわからないけれど、
全ての神様、ありがとう。

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