Keiichiro

京都市下京区で宿屋「ひばり」をやっています。http://hibarihostel.c…

Keiichiro

京都市下京区で宿屋「ひばり」をやっています。http://hibarihostel.com/

マガジン

最近の記事

16羽 「小休止・宿屋の意味」

約2ヵ月、香港から中国、ラオス、ベトナム、カンボジアを通り過ぎ。 すべて陸路で、タイまで辿り着きました。 目的地があるならビュッ!と飛んでしまうのがもっとも合理的ですが、目的地に着くだけが「目的」でない場合においてはその限りではありません。 香港からタイまでどれだけの距離があり、どのような土地が広がっているのか。景色の移り変わり。文化の変容。陸路でいくことで、一枚一枚ページをめくるようにゆっくりと、各国の違いを体感することができました。 そしてこれから久しぶりの飛行機

    • 15羽「7カ国目・タイ・Thailand」

      タイはバンコクのカオサンロード。 バックパッカーなら必ず一度は立ち寄る、安宿と屋台と飲み屋の集まる活気のある通り。 日本を出てちょうど2ヵ月が経とうとしていた。これまで訪れたどこの町より、熱気に満ち溢れていた。 バックパッカーならカオサンロードを知らない者はいない!というほど有名らしいのだけど、恥ずかしながら僕はまったく存じ上げなかった。(いつかのnoteに書いたけど、僕は80冊もの本をもってきておきながらガイドブックは1冊ももってなかった。)カンボジアから一緒にタイに

      • 14羽「6カ国目・カンボジア・Cambodia3」

        いまから11年と4ヵ月と5日前。 2007年1月13日。 この日、僕は世界遺産で脱糞していた。 世界遺産「で」と書くと、世界遺産内のトイレで糞をしたとも読めるか。 では訂正する。僕は世界遺産「に」脱糞した。 いまから僕はなんにも悪くないという言い訳を長々とするから、どうか最後まで聞いてほしい。 いまから11年と4ヵ月と6日前。 憧れのアンコール遺跡群で脱糞する前日。僕はそこら辺の道端の屋台で売っていた「焼き虫」を食べた。「焼き蒸し」の誤変換じゃない。虫は焼かれていた

        • 13羽「6カ国目・カンボジア・Cambodia2」

          首都プノンペンを経由し、シェムリアップへ。 高校の世界史資料集でみた世界遺産への憧れが、旅することの大きな原動力のひとつとなっていた僕にとって、アンコール遺跡群はずっと楽しみにしていた場所だった。 チケットは1日券、3日券、7日券とあり、迷わず60ドルを支払い7日券を買った。(いまは72ドルするらしい。) カンボジア、特に首都プノンペンや観光都市のシェムリアップでは、観光系の店や外国人向けレストランはドル払い、屋台やマーケットなどのローカルな場所では「リエル」というカン

        16羽 「小休止・宿屋の意味」

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        • HIBARISM
          17本

        記事

          12羽「6カ国目・カンボジア・Cambodia1」

          「カンボジアの国境は気をつけろよ。よくワイロ要求されるから。」 これはタイからカンボジアを通ってベトナムへやってきた日本人旅行者から、度々耳にしていたことだった。 ベトナムからカンボジアにいくバスが国境に着いたら、ドライバーが乗客からパスポートを回収する。希望者は25ドル払い、ドライバーに代わりに入国ビザをとってもらう。そしてバスの中で待ってるだけでいい、というシステムだ。30人くらいいる乗客の中でそれを断ったのは、僕とアラブ系の男性のふたりだけだった。 この男性は赤ち

          12羽「6カ国目・カンボジア・Cambodia1」

          11羽「5カ国目・ベトナム・Vietnam」

          国境を越えた途端、雨が降り出した。 思えばラオスにいた二週間、雨を一度も見なかったのでは、というくらい雨が降らない日が続いていた。 それがベトナムに渡った途端、まるで雨が降る方がベトナム、降らない方がラオスね、という風に分かれているかのように突然に、ポツポツと雫が肌の上をはねまわった。渡ってきた国境の背中越しに、雲間から差し込む光。道や人の衣服が濡れて輝いてみえる景色をなんだか久しぶりにみて、きれいだ。ベトナムは「雨の国」だなぁと思いました。 ラオスのサワンナケートとい

          11羽「5カ国目・ベトナム・Vietnam」

          10羽「4カ国目・ラオス・Laos」

          深夜バスに乗って、ラオスの国境へ向かう。 二段ベッドをそのまま詰め込んだような深夜バスの揺れは半端ではなく、上段のベッドを予約されてしまった僕は、疲れきった体でもなかなか眠れなかった。山道を走るのにこんなに適さない構造の乗り物があるだろうか。 夜が明け国境に近付くにつれ、南の国の雰囲気を匂わせる木が多くなっていった。 しかし一晩で国境を越えるには山道は長すぎ、そしてバスのクオリティは低過ぎた。国境付近の村のボロ宿で一泊。 中国とラオスの国境には、約1.5kmほどの空白

          10羽「4カ国目・ラオス・Laos」

          9羽「3カ国目・中国・China4」

          陽だまりの中、ソファに深く座って足を投げ出し、「ほげーっ」とする気持のいい朝。 3日前、爆弾でも爆発したかのように破壊しつくされたホテルを怒りのままに飛び出したことがうそのような、穏やかな日々。 そんな12月に入ったばかりの昼下がり。 僕は中国の雲南省・大理にいました。 そしてここは大理の中の旧市街「大理古城」にある、「太陽島」。 「太陽島」は日本人が雇われ店主をつとめる、いわゆる日本人宿といわれる日本人貧乏旅行者たちのたまり場のような宿だった。 雇われ店主のシンタ

          9羽「3カ国目・中国・China4」

          8羽「3カ国目・中国・China3」

          ガガガガガガガガガガガガ! 朝8時。ものすごい音が聞こえ、ホテルのベッドから飛び起きた。 寝ぼけているのか、夢なのか?と一瞬自分を疑うほどでかい音が、部屋のドアの方から聞こえている。まさにドアをこじ開けているような音だった。いや、僕は本当にこじ開けられていると思った。 ベキベキベキベキベキベキベキ! いったいなにが起こっているんだ?!時間を2日前に巻き戻そう。 中国名は「奥森酒店」。 しかし英語読みは「オーシャンホテル」。 森なんか海なんかどっちやねん。 という

          8羽「3カ国目・中国・China3」

          7羽「3カ国目・中国・China2」

          悪夢の一夜が明け、19:50発の夜行列車で桂林へ。 一部屋六人。片側に上・中・下段と3つのベッドが並んでいる。ベッドというより、「人が寝ることを想定した荷物置き」といったほうがイメージしやすいかもしれません。 「硬臥」とチケットに書かれていた通り、ベッドはだいぶ硬かった。 僕以外はみな中国人の男性。車内でもおかまいなしに痰をはきまくる男たちの「カーッ、ペッ!」という音をきく度、なにかの間違いでこっちに飛んでくるんじゃないかと心配しているうち、いつの間にか眠りについた。人

          7羽「3カ国目・中国・China2」

          6羽「3カ国目・中国・China1」

          中国に入国するためのビザは、香港の宿でとれた。 しかし当時の僕は、中国へ入るのにビザが必要だなんて知らなかった。 いや、それ以前にビザというシステムのことすらよくわかっていませんでした。 これから中国へ行くというと、香港の宿「ラッキーハウス」の例の胡散臭いおっちゃんが「おれがビザとってやる。パスポートもってこい。」と言ってくれた。純粋な親切心だった。しかし僕は恩を仇で返すような、検討違いの勘違いをした。 広東訛りの英語だったという言い訳を加味したうえでもひどい勘違いで、

          6羽「3カ国目・中国・China1」

          5羽 「2カ国目・マカオ ・Macau」

          香港に着いた翌朝、すぐにマカオに行った。 まだ香港をなにも見ていないのにどうしていきなりマカオに行こうと思ったのか、それはよくわかりません。 香港でなにを見たらいいのかわからなかったのかもしれないし、気持ちのいい快晴の日に、ただ船に乗ってみたかっただけなのかもしれない。マカオはパスポートこそ必要なものの、フェリーに乗って1時間もすれば着いてしまう別の国。それだけで僕の興味をひく材料はそろっていた。 20HK$の朝飯を食べ、7.90HK$のウーロン茶を飲み、133HK$の

          5羽 「2カ国目・マカオ ・Macau」

          4羽 「1カ国目・香港 ・Hong Kong」

          1カ国目、香港に到着したのは11月20日。 空港→佐敦 A-22のバス (宿)ラッキーハウス 70HK$ 佐敦駅A出口から佐敦道を西へ。 ウエルカムの角を右。 というメモだけを頼りに、最初の宿屋を探しました。 10年も前の旅のことを今も細かく書けるのは、当時かかさず書いていた日記のおかげ。 自分ではかっこいいんじゃないかと思っていたけれど、日記を見せたときみんなが口を揃えて発した第一声は 「きもちわる。」 でした。 当時は心外だ!と思っていましたが、いまはそういい

          4羽 「1カ国目・香港 ・Hong Kong」

          3羽 「21歳の21ヶ国・月を指差す」

          香港・マカオ・中国・ラオス・ベトナム・カンボジア・タイ・インド・ネパール・エジプト・ヨルダン・シリア・レバノン・イスラエル・イエメン・スペイン・モロッコ・エクアドル・ガラパゴス諸島・アラスカ・カナダ。 前回のnoteがいたずらに長くなり過ぎたことを反省し、まずは旅した国を一挙に書き出してみました。これが21歳のとき旅した国。21ヶ国。 香港は国じゃない、ガラパゴスも国名はエクアドルだ!と突っ込まれる方がいそうですが、国の定義なんてそもそも曖昧なもの。 だからそこら辺はあん

          3羽 「21歳の21ヶ国・月を指差す」

          2羽 「16歳のキャプテン・クック」

          オーストラリアはケアンズ。 名古屋からほとんど真南に飛び、パプアニューギニア島も超えて約6時間。 網タイツをはいたでかい魚のオカマがいると設定されるような島も通り越すくらいの距離なのに、時差はたったの1時間。 煮てよし!焼いてよし!でもたたくのはわさびが染みるからイヤ!というオカマ魚類「タンノくん」は幼いころの私にはトラウマでしかなかったが、そんな変鯛がいる(と想像される)島よりもっと遠いところにいるなんて。 16歳の私には、本当に信じられないことだった。(え?なに言って

          2羽 「16歳のキャプテン・クック」

          1羽 「31歳の乙女座・時をかける。」

          宿をやりたいと思ったのは5年前。そう5年前。たぶん5年前。きっと5年前。書いててあやしくなってきたので調べてみたら、6年前でした。おしい!ニアピン賞。 「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也」 月日というのは永遠に旅を続ける旅人のようなもの。江頭2:50のように落ち着きなく動き続けるものだそうなので、これくらいの誤差は気にしない。ドンマイドンマイ。 記憶なんてのも不確かなものです。 先日も「(年齢は)いくつなんですか?」と聞かれて「29歳です。」と答えてしまった

          1羽 「31歳の乙女座・時をかける。」