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4羽 「1カ国目・香港 ・Hong Kong」

1カ国目、香港に到着したのは11月20日。

空港→佐敦 A-22のバス
(宿)ラッキーハウス 70HK$
佐敦駅A出口から佐敦道を西へ。
ウエルカムの角を右。

というメモだけを頼りに、最初の宿屋を探しました。

10年も前の旅のことを今も細かく書けるのは、当時かかさず書いていた日記のおかげ。
自分ではかっこいいんじゃないかと思っていたけれど、日記を見せたときみんなが口を揃えて発した第一声は

「きもちわる。」

でした。

当時は心外だ!と思っていましたが、いまはそういいたくなる気持ちもわかる。むしろ読み返すたびにちょっと過去の自分にきもちわるくすらなります。

荷物を極限まで減らそうと、ノートは無印良品の文庫本2冊と決めました。が、書きたいことは山のようにある日々。結果ノートのページはパッと見では読めないほど細かい文字でびっしり。文字で詰めに詰められた日記は同室の日本人旅行者にヒエログリフだのカマノグリフ(僕の名字に因んで)だの言われるような仕上がりになってしまいました。
さらにきもちわるがられたのは、一回えんぴつで書いてからその上をボールペンでなぞっていたこと。間違えるのがイヤだったんです。そんな苦行としか言えないことを300日以上、夜な夜な嬉々としてやっていた。これはだれがどうみてもきもちわるい。

しかしながら当時はスマホもないしノートパソコンなんて高級なものも持ってなかった。だから宿で人と話す以外は、本を読むか日記を書くかしかすることがありません。その日みたもの、出会ったもの、感じたことを思い返せば、いつまででも書いていられた。
仕上がりはちょっときもちわるい感じになっちゃったけれど、そういう時間もいまではかけがえのないものだった。日記を読み返すたび、そう思います。

話しを戻すと、日記は細かい割に雑な4行だけのメモをたよりに、初めての宿屋を探しました。雑なわりに不思議と苦もなく見つかった宿「ラッキーハウス」は、どう見ても幸運とは縁のなさそうな、細くて暗くて急な階段をのぼった先にある「胡散臭い」を絵に描いたような宿屋だった。扉を開けた目の前に、トランクスに白のタンクトップしか身につけてない、カンフー映画から抜け出てきたような禿げたおでぶのおっちゃんが、受付(のような机)に座っていた。でかいリュックを背負っているこっちはどう見ても客なのに、「なんだお前は?」という目で睨まれ、奥から日本語で話す声さえ聞こえなければ踵を返していたかもしれない。人を不審者みたいな目で見とるけど、あんたの方が怪しいからな!と広東語が話せたら言っちゃってたかも。世の中には話せなくていい言葉もある。

<宿の窓から。あやしさ満点である。>

しかし、パンツ一丁のおっちゃんをみて、そしてじわりと汗がにじんでくる暑さを肌に感じて、最初の国を香港にしてよかった、とあらためて思いました。

なぜなら僕は最初の最初、初めは北京に行くつもりでした。
北京から順に南下して、じっくり中国という巨大な隣国を見て回りたいと考えていました。

しかし最終的にチケットを発行する段になって、11月に北京に行くだなんて、過酷すぎやしないか?ということに気づきました。京都ですらもうだいぶ寒いのに、わざわざ東北と同じ経度のような場所に行くなんて、旅の初めからしんどいんじゃないか。とギリギリで気づき、行き先を香港へと変更。
急ハンドルでしたが、やめといてよかった。

そんな気候のよさを感じた香港には4日間いたけれど、特段おもしろいことがあったわけでもめずらしいことがあったわけでもなく、わざわざ人に話せるような出来事は残念ながらほとんど書かれてなかった。「窓の外はひどいクラクションの音がしてたけど、19時に寝て朝9時まで寝てしまった。夜景見に行った。」とかそんなようなことだけ。当時は香港ノワール映画も知らなかったし、初心者の旅のはじまりなんてそんなものです。

なので、ここからは香港のことより、香港に行くために用意した航空チケットのことを書こうと思います。こっちの方が少しは旅の参考になると思います。

1年間旅をすると決めたとき、同時にチケットは世界一周航空券と決めました。
南米やイースター島に行くなら断然安いこと、また1年が期限のオープンチケット、ということが決め手でした。1年で絶対帰ってくるから!という保証(のようなもの)は、うちの両親には必要だったと思います。

一口に世界一周航空券と言っても種類が色々あって、主に
・ワンワールド
・スターアライアンス
・スカイチーム
と大きく3つに分けられます。(今はどうか知りません。当時の話しです。)

なにが違うのかというと、大きく2つ。
1.加盟してる航空会社
2.チケットのルール

わかりやすくいうと、JALはワンワールド、ANAはスターアライアンスにそれぞれ加盟していて、基本的にどの航空会社もいずれかのグループに加盟していて、掛け持ちだの浮気だのはしていません。
ワンワールドチケットならJALしか乗れないし、スターアライアンスならANAしか乗れません。

もうひとつの、チケットのルール。
これはざっくりいうと、ワンワールドは大陸の数によってチケットの種類が分けられ、スターアライアンスはマイル(飛行距離)によって分けられる、というもの。
3大陸ならいくら、4大陸ならいくら、5大陸ならいくらと値段が違い、マイルも少ないのは安く、多いのは高いといった違いがあります。

僕はマイルの計算なんてよくわからん!という安易な理由で、ワンワールドにしました。
アジア、ヨーロッパ、南米、北米の4大陸チケット。当時の値段で航空券代36万、燃油サーチャージ14万の合計50万円、一括払い!21歳の私にとっては人生で一番大きな買い物でした。

10年前はEチケット(電子チケット)がようやく出始めるか、というところで、僕が買うときはまだチケットは紙で発行されていました。

世界一周航空券というものはあらかじめ全てのルートを決め、そのルート全ての航空券がいっぺんに発行されます。

札束みたいに分厚く重なった航空券はまさしく現金と同じで、失くしたら再発行もしてくれないから、落としたり盗まれたらもうアウト。

なのでけっこうリスクがありました。いまはもうそんな心配はないでしょう。

チケットは世界一周堂という会社から、インターネットで買いました。買い物はもっぱら実店舗派、ものは人の顔をみて買いたいという男の人生最大の買い物がネット通販なんて!とちょっとげんなりもしましたが、当時は大手旅行会社も取り扱いが少ないようにみえたし、この世界一周堂は世界一周航空券専門の会社だったので知見も広かった。メールでの相談も社長自ら対応してくださり、親切で安心感がありました。

ルートは最初に全部決めないといけないけど、手数料を払えば現地の提携航空会社ならどこでもルート変更ができます。現地からメールで「このルート組めますか?」という質問をしたときも丁寧で早い返事をもらえて、助かりました。

僕は結局ヨルダンのロイヤルヨルダン航空、スペインのイベリア航空、エクアドルのアメリカン航空(キト支店)と3回もルートを変更しましたが、どこでも問題なく再発行してもらえました。

再発行のたび更新されるチケットにも、デザインや紙質に各社微妙な違いがあっておもしろかったです。

当たり前のことですが、チケットは使うたびになくなっていきます。

一枚、また一枚となくなり、残りのチケットを数えるたび、いままで使ってきたチケット、そして通ってきた国、町、人たちのことを思い返します。

電子チケットは確かに便利で安心だけど、こうして視覚で、触覚で感じ思い起こされるものがなくなってしまうのも、一抹の寂しさを感じずにはいられません。

雑な4行のメモをみるだけでも、あの香港の胡散臭い宿をとても懐かしく思える。

下手な手書きに、僕は10年経っても僕のままだということがわかる。ケータイのメモでは伝わってこないものもある。

そういうことが大事なんだと、いまでも思っています。

ラッキーハウスがまだあるのかどうか

ネットで調べれば簡単だけれど、雑な4行のメモだけでもう一度たどりつけるのか。そっちのほうが楽しみだし、調べる楽しさってそういうことでしか得られない。

あらゆるものが簡単にわかった(気になった)り、便利に電子化されるけれど、それによって自然と失われるものを、うっかり見逃さないようにあらためて拾いあげていきたい。

手書きのメモやチケットの半券をふと手にとるたび、そう思います。

香港にいくときは、またあのメモをもっていこう。


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