1羽 「31歳の乙女座・時をかける。」

宿をやりたいと思ったのは5年前。そう5年前。たぶん5年前。きっと5年前。書いててあやしくなってきたので調べてみたら、6年前でした。おしい!ニアピン賞。

「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也」

月日というのは永遠に旅を続ける旅人のようなもの。江頭2:50のように落ち着きなく動き続けるものだそうなので、これくらいの誤差は気にしない。ドンマイドンマイ。

記憶なんてのも不確かなものです。
先日も「(年齢は)いくつなんですか?」と聞かれて「29歳です。」と答えてしまった31歳の乙女座。これっぽっちの罪の意識もありませんでした。 20代にすがりつく気なんて更々なかった。悪意があったら「25歳」って言うさ。29歳ならバレないと思ったんじゃないかって?悲しいかな、実年齢ですら疑いをもたれる日々を送ってる人間にそんな発想はない。まさに脳内タイムスリップ。その日の私は確かに29歳だった。
たまに変なこと言ってんな、と思ったときは中2の放課後までトリップしてると思ってくださって差し支えありません。

そんな「時をかけるおじさん」が宿をやりたいと思ったのはそう、6年前の「25歳」。

もしタイムリープで25歳の自分に戻れるなら、宿をやってるか?
「そんなのわからない」といういい加減なことはなく、これは断言できる。やってます。絶対やってる。やってるよあいつは。

これは虚勢でも祈りでもなく、事実です。なぜなら、もし仮に宿をやることを止める必要があるのなら、25歳の私にいっても無駄だから。もう遅い。
正確に言うならば、宿をやりたいという思いの種が蒔かれたのは、6年前じゃない。

ひばりはまだ卵から生まれたばかりのひな鳥のごとく未熟な宿ですが、そんな宿がつくられることになったはじまりのはじまりは、 さらにさかのぼること15年前。いまだに「未熟」とか言ってるなんて想像だにしてないであろう、16歳の私から生まれました。

ちゃちゃっと本題に入らず申し訳ないが、16歳の私にあった出来事をなるべくきちんと伝えるには、まず15歳の私について書かなければならない。でもこれはできれば書きたくない。なんなら読み飛ばしてほしい。もし私に「くるみ型タイムマシン」に加え「キング・クリムゾン」が与えられてたなら、間違いなく時をすっ飛ばしてなかったことにしてたはず。イタリアンマフィア風に言えば「便器に吐き出されたタンカス」。それが15歳の私。うだうだ言うならさっさと16歳にあったことから書けばいいじゃないか。ここならいくらでもすっ飛ばせる。そうかもしれないが、実を言うといったん書いたけど消しました。なんか違う。全然正しく書けてる気がしない。「自転車のブレーキが壊れている」という複線なしに、坂道の先の踏切に突っ込むようなものだった。それじゃ全然伝わらない。「痛みを伴わない教訓には意義がない」。やっぱり書かなきゃならない。15歳の私のブレーキも、もれなく壊れていたとしても。

私の人生年表では、15歳と16歳の間に明確な、はっきりとした線がひかれます。
線の向こう側。15歳までの私は、本当にアホだった。
日本に暮らす15歳が大抵取り組むことと言えばそう、高校受験。私も当然受けたが、当時の私はブレーキが壊れてる以前にハンドルから手を放しながらフラフラちんたらのらりくらり、人生という道の重要な岐路にさしかかっても蛇行運転し続けるポンコツフィフティーンでした。

いや、「ハンドルから手を放しながら」という表現も適確じゃないかもしれない。
下手な比喩をやめて具体的な事実をいうと、私が受験日の前日深夜に読んでいたのは「おくのほそ道」。ではなく「桜木花道」だった。人生において特に重要な一戦のひとつとされる前日に、ポテチ片手に山王戦にのめりこむアホ。高校一年男子の熱いハイタッチに感動して満足し、あしたはおれもがんばろう。高校行ったら流川キャラになろう。なんて考えながらスヤスヤ眠る童貞。いや、テンション上がって結局寝付けず、その後大魔王バーンとの最終決戦に突入しそのまま朝を迎えたような気もする。自分の進むべき道を見極めるべき重要な分岐点の直前まで、私はマンガのページをめくりながらチャリンコを漕いでいた。そうして坂道を転げ落ちるように踏切に突っ込んだ結果は当然、大爆死。試合終了。答案用紙には大量の赤いアバンストラッシュX(クロス)が描かれ、ポップとは違い本当に燃え尽きた。光り輝くことなく、汚ない煙をあげながら。

「大事なことはぜんぶマンガが教えてくれた」というが、そんなものはありません。それが事実なら私には英才教育が施されていたはずだ。
5歳の頃にはカメラを向けられるたび、スーパーサイヤ人状態で霊丸(れいがん)を打っていた私。「おれは人として大切なことは全部少年ジャンプに教えてもらった。」そんなこというやつに限って安西先生のお言葉もクリリンの命の尊さも理解できずに失敗するんだ。偏見この上ないが、経験則から断言したい。こっちは5歳ですでにスーパーサイヤ人の限界を超えてたし、霊丸だって無制限に打ってた。新聞を丸めてつくった剣で天翔龍閃も放ってた。実家のアルバムにはそんな写真ばっかり残ってるんだ。A4サイズくらいに引きのばされてるものまであった。大事なことを学んでそうな私はどこにも写っていなかった。少なくとも5歳から15歳までの私は。これは間違いない。

第一希望も第二希望も落ちましたが、何度でもいいます。あの頃の私は空前絶後にアホだったので、落ち込みもしなかった。合格者の番号が書かれてる掲示板も、ひょっとしたらなにかの間違いで載ってるかもしれないくらいの気持ちで見に行っていました。そんな私のにぎる受験番号票は宝くじと同レベルだった。ひょっとしたら3億当たるかもしれない。その程度だったから、番号がなかったのを目にしても「なぜおれはあんな無駄な時間を…」なんて震えることは一切なかった。コートを超え、体育館も超え、ポテチのカスを口のまわりにつけたまま自宅から「ていっ!」と放つ3ポイントシュートのようだった、私の高校受験。

そんなシュートなんて入るイメージもわかないように、3億あたってたら人生変わってたのに!なんて本気で悔しがる宝くじ購入者なんていないように、「あのとき受験に成功してたら」なんて考えたことは一度もありません。

そんなメドローアでいっぺん消滅したらええのにと言いたくなる15歳の乙女座も、約1年後。ついに年表に線が引かれます。まさに理科室で倒れた女子高生。恩師の前で涙を流す反抗期のロン毛。みえっぱりヒゲアフロと暮らし始めた桃色の魔人。だれしもが出会う、ターニングポイントのひとつ。

はっきりと線がひかれた16歳の私には、ありました。

「あのときあれがなかったら、自分はなにをしていたのだろう。」

タイムリープ不要。私にとっての3億円。絶対にはずせない3ポイント。

あきらめたくない、と思えるものを初めて知った場所。

それは16歳の冬に訪れた、南半球は夏。オーストラリアのケアンズでした。

つづく

<次回予告>
オッス、オラ悟空!いや~こいつそんなにバカだったんだなぁ~!オラも人のことは言えねーけど、じっちゃん死んじまってもがんばって一人で生きたし、世界も救ってるしこいつよりはましだよな~。でもまったく働かねーで修業ばっかしてっから、この先のはなし次第じゃオラの方が負けっかもな!サイヤ人はシャカイ人にはなれねーや!
次回、「星を経営。フリーザ組ってすげぇホワイト企業だったの?!」
またみてくれよな!
地球のみんな、おらに利益をわけてくれ~!


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