ヘ_トナム7

11羽「5カ国目・ベトナム・Vietnam」

国境を越えた途端、雨が降り出した。

思えばラオスにいた二週間、雨を一度も見なかったのでは、というくらい雨が降らない日が続いていた。

それがベトナムに渡った途端、まるで雨が降る方がベトナム、降らない方がラオスね、という風に分かれているかのように突然に、ポツポツと雫が肌の上をはねまわった。渡ってきた国境の背中越しに、雲間から差し込む光。道や人の衣服が濡れて輝いてみえる景色をなんだか久しぶりにみて、きれいだ。ベトナムは「雨の国」だなぁと思いました。

ラオスのサワンナケートという町から東へ国境をわたり、ベトナム中部の町・フエへときました。

フエは旧王都の歴史ある大きな町で、むかしの王宮もあった。ちょうど年末だったので町はにぎやかだけど、雨のおかげかごみごみとしたほどの人はおらず、僕は傘をささずにモンベルのゴアテックスパーカーとズボンを着て町あるいた。

ベトナムではよく市場を歩いた。市場のない町はない。
というくらい、大きな町にはどこにでも露店のような市場があった。思えばベトナムではスーパーの類いのお店にはほとんど入らなかった。だいたいのものが市場で買えるし、人の生活がみえておもしろい。それに行儀よく並べられた優等生のような商品たちより、「これ洗ってる?大丈夫なの?でもなんだかおいしそうだなぁ」というものたちのほうが、僕の財布のヒモを緩めさせる魅力をもっていたように思う。思えばどこの国のスーパーに行っても、人の生活というのがあんまりみえてこなかった。それは僕の創造性の欠如という問題だけという気もするけど、じゃあなんで市場で売り買いしている人たちの生活の先は思うことができるのかっていう話しにはなる。数値化も言語化もできないけど、たしかにある魅力。市場ってそういう場所なのかもしれません。

ベトナムはご飯がおいしい。というのは有名だけど、僕は思っていた以上にはまった。フォーを食べない日はなかったけど、それ以上に食べまくっていたのはチェーだ。チェーはベトナム風ぜんざいのようなデザートで、写真のように縦長のグラスに白玉や小豆や寒天を入れ、その上に薄めの練乳をかけ、最後に細かい氷を載せて出来上がり、というシンプルなもの。種類もたくさんあり、僕は朝飯食べてはチェー、昼飯食べてはチェー、晩飯食べてはチェー、翌朝の朝飯前にとりあえず目覚めのチェー、と女子高生も引くくらいのスイーツ男子になり下がっていた。紫いものチェーは特に気に入り、毎日食べた。どこの町にもチェー屋はあったけど、フエの繁華街のはずれにある場末感まる出しの、地元のじーさんがチェー食べたあとのグラスを灰皿代わりに使っても「しょうがないねぇいつもこの人は」という顔で見逃してしまうお母さんのやってるチェー屋が、ダントツで一番うまかった。

僕はベトナムでは、お墓をまわってばかりいた。お墓というのはあくまでもただのゴールの目的地として設定していただけで、ほんとうに見たかったのはベトナムの森や山道や田園風景、そのまわりに点在する家や、小さな村々、そしてそこで暮らす人たちだった。雨の中かっぱをきてボロのママチェアリレンタサイクルで山道を走ってる日本人がいたら必ず声をかけてくれるというのがベトナム人の気質のようで、結果より過程のほうがおもしろい、という日々を過ごさせてもらえたことは本当にありがたかった。「より道を楽しめよ。本当にほしいものはそっちに転がってる。」という台詞を漫画かなにかで読んだけど、僕はそんな言葉を耳にするたび、ベトナムの田舎道を思い出す。

ホイアンという町に、日本人の墓があった。
だだっぴろい田園の中のどこにあるのかわからずウロウロしていたら、地元の少年が案内してくれた。カメラを貸してあげたら色々撮って遊んでいた。一人で旅していると自分が写っている写真というのが少ないので、貴重な記録となってくれている。斜めってるけど。

ここは約400年前にベトナムと日本で貿易をしていた日本人商人のお墓で、言い伝えによれば幕府の外国貿易禁止令で帰国を余儀なくされ、しかしホイアンにいる恋人に会いたくて戻ってくるも、残念ながら道半ばで倒れてしまった、という話しだった。いまも地元のひとたちが線香をあげにきたり、きれいに掃除をしてくれているそうで、周りにはゴミひとつ落ちていなかった。この墓の存在から、貿易当時の400年前には現地の人たちと相当な友好関係にあったことが伺えるとされている。僕がこの国の行く先々で親切にしてもらえるのも、この人と、この時代に生きた人たちのおかげなのだと思うと、しばらくこの場所を離れることができませんでした。

「強くなければ、生きていけいない。やさしくなければ、生きていく資格がない。」

カンボジアへと向かうバスの中で読むチャンドラーの言葉に、僕は車窓の向こうに広がる田園風景をみながら、あの日本人の墓で過ごした時間をずっと思い出していた。

つづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?