子育て中でもそうでなくても「しなくていいリスト」

生きることに意味などない。生物学的に考えるとそうなる。それに気がついてずいぶんと楽になった気がする。だから生きていても意味がないということではない。生きる意味は探さなくとも自分で自由に決めることができるということだ。そしてそれは人生のステージによって変わってもいい。子ども3人をひとりで育てているいまの僕の目標は生き残ること。折れることなく生きること。

目標が低すぎるだろうか。みんなが成功者にならなければならないのだろうか。そもそも成功者とは誰のことだろうか。孫正義を成功者と呼ぶ人は多いかもしれない。けれども孫正義は僕よりもしあわせなのだろうか。世間の常識や自分自身の思い込みにしばられずに生きることができれば、それはうまくいっていると言ってもいいんじゃないかと思う。いまのところ折れることなく生き残っている僕の「しなくていいことリスト」を並べてみた。



完璧を目指さなくていい

子育てをしていると完璧にやるということが不可能であることに気がつく。そのことに気がついているのか気がつかないのか、完璧を目指して心が折れるというというのはよく聞く話だ。とくに僕らの世代だと昭和のハイクオリティな専業主婦を一般的な母親像としてイメージしてしまい、自分とのギャップに悩むこともあるかもしれない。けれどもそれはほんの一時期の特殊な社会システムに基づいたイメージなので、現代では役には立たないと考えている。

疲れているときには、夕飯は温めるだけ、洗濯は1回スルー、散らかった部屋で寝る。たまにそういうことがあったとして、子どもの人生に悪影響があるとは思えない。それよりも親がイライラして子どもに当たり散らすということは絶対に回避したい。子どもが「ちゃんと」していなくても問題はない。自分が子どものころを思い返してみると、まったくもって「ちゃんと」していなかった。それでも大人になってそれなりにできるようになるのだから心配はない。そもそも「ちゃんと」ってなんだろう。



明日できることは明日する

今日できることは今日しなさい。と言われて育ったのだけど、テクノロジーの進歩にもかかわらず増えていく仕事、核家族化は進み地域コミュニティは衰退するなか増える家事育児の負担。やることは増える一方だ。いかにやることを減らすかが重要になってくる。そこで提案したいのは、明日できることは明日しようということだ。そのタスクは明日になったらやらなくてよくなっているかもしれないのだから。

やることリストをつくっている人は多いだろう。ただそのリストは消化しても消化しても新たなタスクが増えていって、いつまでたっても空になることはない。そこで、通常のやることリストと今日やることリストを別けることをおすすめしている。前日の夜かその日の朝にやることリストから今日やることリストにタスクを移動させる。思っているよりも消化できないという前提で移動させるのがポイントだ。今日やることリストが空になれば、心置きなくしっかりと休むことができるし、子どもたちとの時間を余裕を持ってとることもできる。



成長しなくていい

とにかくこの世の中で生きていくというのはしんどい。子育てをしていると人生の難易度はさらに高くなる。生きていれば誰にでもいろいろな事案が発生して、いま生きているということはその度に乗り越えてきたということだ。それはつまり勝手に成長しているのだと言える。それ以上さらに成長したいというのは欲求であり、もっとおいしいものを食べたいというのと同じだ。本人が望むように欲求を満たせばいいのであって、他の人にあなたも私のようにおいしいものを食べたいと思えと押しつけるのはおかしな話だ。成長しなければならないという社会に蔓延する思い込みに振り回される必要はない。なぜ成長しなければならないかという問いに答えられる人は多くはないだろう。

技術系の資格の他に簿記やファイナンシャルプランナーの資格などを持っている。エンジニアなので技術系の資格は基礎を学べるので有益であったと思う。フリーランスや経営者となると簿記の知識も役にはたっているが、それはフリーランスや経営者になってから学んでも遅くはなかったと思っている。ファイナンシャルプランナーにいたってはまったく役に立っていない。とりあえず資格を取ろうという風潮があるのだけど、先に自分がなにをやりたいことを考えて、本当に必要であればそれに応じた資格を取るべきだと思う。必要のない勉強をして成長した気になっても生き残るスキルが身についたわけではない。



努力しなくていい

努力しなければならないということは、その分野には向いていないのだと思う。好きでやっている人にはかなわない。僕はもともと生物学を専攻していて、プログラミングは完全に独学で身につけた。努力してプログラミングを学んだことはなくて、ただ好きでやっていた。日本ではかなり早い時期からiPhoneアプリを作り始め、まだコモディティ化する前にARアプリをリリースしたりしていた。努力はまったくしていない。ただ楽しかった。いまはプログラムを書くテンションは当時よりも下がっていて、寝ても覚めてもプログラムを書いている若い人たちには到底かなわない。彼らも当然、努力をしているわけではない。

努力をするのはしんどい。子どもを育てながら努力ができるだろうか。努力するということは時間を消費する。それで子どもたちとの時間を確保できるだろうか。それよりも努力をしなくてもいい領域を模索してもいいんじゃないだろうか。シングルマザーでクッキー屋をしている「サクちゃん」のnoteを購読している。彼女のインタビュー記事が公開された。僕が中途半端に説明するよりもこの記事を読むとここで伝えたいことがより伝わるのではないかと思う。

「絶対に譲れない4つのこと。私にしかできない方法で生きていく」サクちゃん【子育てと仕事を学ぶ#3】 | 灯台もと暮らし



先のことは考えなくていい

将来のことを考えると不安になる。けれども将来は予測できない。現時点でなにが正しいかはわからない。大切なのは想定していたものと違う状況になったときに方向転換できる柔軟性だ。長期計画が大切だと言うけれど、ある人の10カ年計画は震災によって崩れ去った。だから長期計画は意味がないと言うつもりはないのだけど、計画は随時変更されるべきものだ。子どもは思い通りには育たない。兄弟を同じように育てても必ず差が出てくる。将来は予測できないのだから、必ずよくなると信じていてもいいはずだ。それは子どもたちを信じるということにつながると思う。

先のことを考えるよりも、いまに集中したい。子どもの成長はあっという間だ。三女を自転車に乗せて保育園への送り迎えをする日々。おしゃべりをしたりゲームをしたり、ふりかえるととてもしあわせな時間だったように思う。三女も小学生になり送り迎えが必要なくなった。ふとさびしく感じることもある。大変ではあったけれど、あのころの時間をもっと大切にしておけばよかった。だからいまを大切にする。僕が写真を撮るのもいまに集中するためでもある。



戦わなくていい

日本では頑張ることが美徳とされる。なぜ頑張らなければならないのだろうか。評価が欲しいからだろうか。自己満足だろうか。無理をしてる人たちを感動ストーリーとしてでっちあげるメディア。実際のところ、いまの日本で生きているというだけで十分にすごいことだと思う。それ以上は余裕があるときに戦えばいいのであって、力が出ないときに無理をする必要はない。減少してきたとはいえ毎年3万人弱の人たちが自らの命を絶っている。折れてしまっては元も子もない。残された子どもたちの面倒は誰がみるのだろうか。

締め切りを守るために徹夜をするようなヒーローはいらない。会社を立ち上げて、まだ従業員はいないけれど、外部の人たちをマネジメントする立場になった。そして思うのが、はやめに相談して欲しいということだ。スケジューリングするときには時間やリソースに多少のバッファをとってある。はやめに相談してもらえばバッファを使って問題を回避することができる。締め切り間際にクオリティの低い仕事をするヒーローは必要ない。



自分ひとりでやらなくていい

昔に比べると母親がひとりで子どもの世話をする時間が増えていっている。父親は会社で長時間労働。ひとりで家事子育てをやるというのは難しい。頼れる人がいるならば積極的に頼るべきだと思う。実家の助けであったり、ご近所の助けかもしれない。行政については、個人的には不信感が強いのだけど、利用できる支援は利用したほうがいい。

小さい子どもを保育園に預けて働くことへの風当たりが強いという話も聞く。シッターを使うことに対してもそうだろう。それはもうスルーするしかない。批判をする人たちは、僕らの家庭の事情をわかっているわけではない。つまり的外れな批判でしかない。嫌な気分にはなるけれど、それ以上のものではない。無責任な人たちの言うことに振り回されることはない。



ざっと思いつくままに挙げてみたのだけど、しなくていいことはもっとありそうな気がする。「〜しなければならない」というのは思い込みであることがほとんどだ。立ち止まって本当にしなければならないのだろうかと考える。たいていの場合、しなくてもいいという結論にたどり着く。もちろん余力があればしたほうがいいことも多いのだけど、それだけの余裕はあるだろうか。その余裕を他のもっと大切なことに使えないだろうか。

努力を否定しているわけではない。けれども努力したくてもできない人がいるという現実から目をそらすわけにはいかない。人はできることしかできない。

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