生きることに意味はない

生きる意味はなんなのだろう。やるべきことはなんなのだろう。生きる意味を探すのがつらいのは、答えがないからなのだろうと思う。答えがないというよりも、そもそも生きることに意味はない。ないものを探しても見つからないにもかかわらず、見つからないとなおさら求めてしまう。そんな時期も通り過ぎると、冒頭のような自問自答はすっかりなくなってしまった。そうすると、生きることが楽になった気がする。

大学院までは生物学を学んでいた。生命のメカニズムというのは実に精巧で、誰かが設計したのではないかとさえ思える。けれどもその一方で、このメカニズムはただ存在している、なんの意味もなく動いているという感覚もある。意味を持って生まれた生物など存在しない。進化だって偶然の積み重ねだ。人間も生物であって、生きる意味を持って生まれたわけではない。すべて化学反応だ。

意味がないのなら生きなくてもいいかというと、そんなことを言いたいわけじゃない。意味がないからやらないというのなら、世の中にはやらなくていいことが溢れている。人間は意味を後付けすることができる。意味はなくても構わないし、自分で決めてもいい。要はストレスがたまらなければいいのだ。生きる意味が見つからない人は、はなから存在しないのだからあたりまえだと考えればいい。生きる意味が欲しい人は、こじつけでもなんでも適当にでっちあげればいい。ものごとには意味があるといういう考えに固執してしまうのがよくないと思う。悪いことが重なるのも、それは現象が発生しただけであって、そこには意味なんてない。生きる意味にしばられる必要はない。

それでも生きる意味が欲しい人はいると思う。そんな人におすすめの生き方がある。他の人に便乗するという生き方だ。世の中には自分の生きる意味を決めている人がいる。彼ら/彼女らは情熱を持って行動を起こしている。その人たちの手伝いをすればいいのだ。僕がベンチャーを手伝うのも、そういう思惑がある。自分には生きる意味がないので、生きる意味を持っている人を手伝う。そのうちに他の生き方見つかれば、生き方を変える。生きる意味はないのだから、勝手に変えても構わない。だから最初は気軽に決める。思いついた方向に一歩進んでみればいいだけだ。

なんにせよ、意味はなくとも生きるというのをおすすめしている。もちろん死ぬのは自由なので、どうしようもなくなったら死ぬという手もある。けれども、死んでしまうということは、状況を打開するチャンスを一切失うということだ。これはあまりおすすめできない。どうしようもないときに誰かに頼るというのも、頼られた相手には生きる意味が増えるので良いことなのだと思う。

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