すべて自己責任、人生の主導権について

なんでも他人のせいにしてしまう人は不自由な生き方をしていると思う。自分の人生の主導権を他人に委ねているのだから。

すべて自己責任だと思っている。現在自分が置かれている状況はすべて自分で選択した結果だ。誰のせいでもない。これは自分に厳しいわけではなくて、そう考えると楽だから自己責任だと考えることにしている。環境や他の誰かのせいにしてしまうと、それは自分ではコントロールできないことになってしまう。コントロールできない誰かを責め続けるのと、自分の責任だから次はもっとうまくやろうと考えるのとでは、どちらが楽だろうか。もちろん自分ではどうしようもない災害に遭うかもしれない。それでも、その後にどういう対処をするかは自分しだいなので、災害を恨んで苦しい思いをする必要はないと思う。

これはなんでもコントロールしようというのとは違う。たとえば子育てをしているとよくわかるのだけど、子どもはコントロール対象ではない。しつけだ何だと言っても完全にはコントロールできないし、コントロールされている子どもというのは健全ではないと思う。そういう自分ではどうしようもない状況に対してはこう考える。コントロールできない対象と対峙したときの自分の行動は自分で決められる。つまり自己責任だ。コントロール不能でつらいと考えるよりも、はるかに楽でいられる。

すべて自己責任だというと厳しい意見だという気がするけれど、本当はとても楽な考え方なのだと思っている。会社員として仕事をするにしても、会社に依存してしまうのではなく、自分の意志でここにいるのだからいつでも出て行けると考えているほうがおもしろい仕事ができる。誰かの常識は自分にとっては常識ではないのだから、それに従う必要はないし、従うにしても自分の意志でそうするのだと決める。すべて自分で決めることができる。こんな楽なことはない。

ただこれには注意が必要で、なんでも自分が悪いのだと自分を責めないほうがいい。自分を責めるということは、コントロール不可能な過去の自分を責めるということだ。それでは他人の責任にしているのと同じなんじゃないだろうか。過去の行動とその結果は良し悪しを考えずにそのまま受け止めて、いまどうするのかを考えるのが大切なのだろう。自分が楽になるための考え方として自己責任という言葉を使えばいいのだと思う。だから昨今、弱者へ自己責任を押し付ける風潮には心を痛めている。

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