若い人に口を出さない、おっさんの自分語り禁止令

将来は予測できない。自分が何歳まで生きるかなんて、それこそ予測しようがない。父は僕のちょうど倍の年齢で亡くなって、父と同じだけ生きるとしたら、ああ人生の半分まで来たのだなと強く感じたのを覚えている。人生も半分を過ぎると、若者が多いITコミュニティ内ではどこへ行っても年長者になることが多い。前職のベンチャー企業でも年齢だけは上から数えたほうが圧倒的に早いポジションにいた。

人生を半分過ぎてから気をつけていることがある。自分のことや自分の考えをしゃべりすぎないということだ。「おっさんの自分語り」というのがあって、年配者はやたらと語りたがる傾向がある。あれはなんなのだろう。人生経験がたまってくると語るネタが増えてくるのか。若い人になにかを伝えなければならないという圧が高まってくるのか。なんにせよその人生経験は過去の時代のものなので、いまの若い人には通用しないかもしれない。それを押し通そうとすると「老害」なんて呼ばれたりもする。僕はそうなりたくなくて、まずはしゃべりすぎないように気をつけている。

自分の常識と他人の常識は違うのだから、それを押しつけてはいけない。世代が違えばなおさら違いは大きくなる。ここでいう若い人の中には自分の子どもも含まれていて、わが家では父親が偉そうに「~すべき」「~でなければならない」ということがない。将来は予測できないので、どうしたほうがいいかなんて僕にもわからない。子どもたちが皮膚感覚を研ぎ澄ますしかないと思う。会社やコミュニティでも同じように振る舞っている。若い人たちのほうが「いま」をわかっているのだから、僕らが口を出しても害にしかならない。それからSNSでも自分で正しいと信じている考えをまき散らさないようにしていて「~するといいと思うんだけどなあ」という程度でとどめておく。

影響力の大きさというのも問題となる。僕の場合は年長者になってからというよりも若いころからなのだけど、会議の場を支配してしまうことが多い。発言は多い方ではないが、ひとたび発言をするとみんなが賛同して自分の意見が通ってしまう。歳をとるにつれてその影響力が顕著になってきたように感じる。これはよくないんじゃないかと、発言を控えるようになった。まあ、ピンポイントで発言するからよけいに影響力が大きくなるという側面はあるかもしれないのだけど。

自分の会社の社員と週に1度ミーティングをしている。そのミーティングでは仕事の話だけでなく、なにを話してもいいということになっている。社員は10歳下だ。そこでは「僕は若い人にアドバイスなんてしたくない!」と宣言している。社員からは「この人また変なこと言い出した」という反応だったように思う。自分がアドバイスをする代わりに、できるだけ黙って話を聞く。なにかしらモヤモヤしている場合は、答えではなくて考え方のヒントだけを伝える。コーチングのコーチ役をやっているイメージだろうか。そんなふうにしていても、どうしても自分のことを話してしまうので、おっさんの自分語りというのは根が深い。

押しつけるということを避けるために、発言やSNSの投稿に気をつけているのだけど、僕の考え方をもっと知りたいと思ってくれる人もいるだろう。そのためにこの文章を書いている。文章にしておけば読みたい人だけが読むことができる。そしてこの文章には「こうすればいい」「こう考えればいい」という答えは書いていない。あくまで、「僕の場合はこう考えたらうまくいった」という体験談を書いているだけだ。その考え方を取り入れるかどうかは読者にまかせることにする。

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