二元論で語らない覚悟、グラデーションのある世界

がんばらない。そう言い続けている。努力、情熱、成長はいらない。がんばらなくてもいいよ。と言うと、がんばっている人を否定するのか!というクレームが飛んでくる。よく考えてほしい。「がんばらなくてもいい」という言葉の中にがんばっている人を否定する要素はひとつも入っていない。同じように、努力、情熱、成長を否定したことは一度もなく、むしろ憧れすら抱いている。どうしてもがんばれない環境にいる人は無理をしなくてもいいよと言いたいだけで、ばりばりとがんばりたい人はそのままでいいと思う。

人は物事を二元論に落とし込みがちだ。世の中には良い人と悪い人がいるというのは本当だろうか。犯罪者もわが子から見ると良い父親かもしれない。もっと言えば、わが子を守るために罪を犯したのかもしれない。ひとつのニュースを見ただけでその人を全否定することはできないと思う。僕は誰しも良い部分と悪い部分があると考えているので、クラスの嫌われ者とも仲良くしていた。嫌われる要素があったとしても、悪い人ではない。良いところもたくさん知っている。僕が人生で悪い人に出会ったことがないのは、このような見方をしているからかもしれない。

日本人は主張と人格を区別するのが苦手なようだ。主張を否定されると人格を否定された気分になりがちだし、主張を否定するために人格攻撃をすることもある。でも、主張の正しさとその人の人格は別物だ。主張と行動も別物。ある主張をしていた議員が不倫をしたとする。不倫はたしかに良くないことではあるが、その人の主張を否定するのは筋が違う。話題がそれるが、僕は不倫すらも悪いことかどうか判断できずにいる。不倫をする人の気持ちがまったく理解できないので、そこに正当な理由があるのあるのかどうかはわからない。けれども僕は大切な人を傷つけてしまうことは絶対に良くないと思っているので、不倫は悪いことだという立場に立っている。それは僕の場合はということだ。逆に不倫を正当化する人がいたとしても、そういう考えの人もいるのだなと認識するだけ。否定するつもりはない。

世界にはグラデーションがかかっている。虹は日本では7色ということになっているけれど、実際には無限の色から成っている。最近ではようやく性別も男女だけではないということが受け入れられはじめている。同じように心の病についても、病気かそうでないかで判断しないでほしいと思う。病名をつけるかどうかは医師のさじ加減だ。病気だと診断されてもされなくても、本人のつらさは変わらない。会社を休むのに診断書は必要ない。病気だから休むのではなくて、つらいから休むのだ。努力すれば乗り越えられるなんて、それはその人がそうだっただけで、みんなが同じことができるわけではない。できれば、自分と他人は違うということを受け入れてほしいと思う。

受け入れるというのは理解することとは違う。理解できなくとも、そういう見方や考え方があるのだと認める。それが受け入れるということだと思う。理解はできなくてもいい。自分と他人は違うのだから。物事をふたつに分けて考えるというのは実は楽をしているんじゃないかという気がする。どちらかに決めるというのは、なんとなくの感覚でできてしまう。逆にどちらにも決めないというのは、気力や覚悟が必要だ。自分が理解できないものを受け入れる苦しみというのもある。ただその気力と覚悟を持ってして見える景色もあるはずだ。濃淡のない2色だけではなくグラデーションが見えてくると、世界はもっと美しく見えるんじゃないだろうか。

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宮崎ひび

シングルパパ起業家はがんばらない

三姉妹のシングルパパ。株式会社トーフラボ代表。心の健康とつきあいながら、がんばらないで自由に生きていく。
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