将来は予測できない、「いま」の重要性について

明日できることは明日しよう。小学生がこんなことを言ったら親や先生に叱られてしまうかもしれない。今日できることは今日しなさい、と。でも明日がどうなるかなんてわからない。明日にはやらなくてよくなっているかもしれない。それよりも今日しかできないことをやったほうがいいのでは、と思う。

将来は予測できない。これは僕の思考の大原則になっている。もちろん僕の大原則にすぎないので、予測できるという人がいてもかまわないのだけど。予測ができないとするならば、現時点で何が正しいかなんてわからない。自分が正しいと思ったことを正しいと思えばいいわけで、つまり何が正しいかというのは自分で選択することができる。だから、世の中の常識や思い込みやルールに縛られる必要はない。また、自分の考えが正しいとは断言できないはずなので、それを他人に押し付けるのも違うと思う。喧嘩をする必要がまったくない。言いたいことは言うタイプなのだけど、相手と衝突することなくやっていけている。その人の考える正解を否定しないのだから衝突しようがない。

「2011年度にアメリカの小学校に入学した子どもたちの65%は、大学卒業時にいま存在していない職業につくだろう」と言われている。子どもたちにいまの自分の常識を押し付けたところで、そんな常識は子どもたちが成長するころには常識ではなくなっているのだろう。僕が押し付ける常識なんて害にしかならないんじゃないかと思っている。MITメディアラボ所長の伊藤穰一氏は「世界の変化のスピードがこれだけ速くなると、地図はもはや役に立たない。必要なのはコンパス」だと言っている。どんどん地形が変わっていく世界では地図は役に立たない。行きたいところへ行くためのコンパスをどうやって身につけるかが重要なのだ。

子どもたちにはクリエイティブに育って欲しいと願っているし、自分自身もクリエイティブでありたいと考えている。クリエイティブの定義についてはここでは置いておく。子どもというのは3歳にしてすでにクリエイティブだ。いわゆる、子どもは発想が柔軟だというやつだ。それが成長するにしたがってクリエイティビティが低下してくるように見える。けれども実際にはクリエイティビティが低下するわけではなくて、クリエイティビティを阻害するしがらみが増えていくのだと考えている。そうすると、いかにクリエイティビティを高めるかということよりも、いかにそれを阻害する要素を取り除くかに注力するのかが重要になる。それが常識や思い込みやルールを捨てるということなのだと思う。

ある時期から長期計画を立てなくなった。もしかしたら震災がきっかけだったかもしれない。大きな力の前で、僕らはあまりに無力だ。長期計画がふっ飛んでしまった人はたくさんいるだろう。将来のためにいまを我慢するよりも、いまやりたいことをやるべきだと考えている。アンテナを張って常に動いていれば、やりたいことというのは世の中の流れからそれほど外れはしないと思う。やりたことをやり抜く必要もなくて、やりたいことが変わっていってもいい。世界は変わっていくのだから。

将来は予測できないというのが大前提だ。だからその時々で状況を受け入れ、対応していくしかない。人はブレることを嫌うけれども、ブレてもいいと思う。今日は昨日言ったことと違うことを言う。状況は刻々と変わっていくのだし、予測していない状況が訪れる。昨日と言っていることが違って当たり前だ。その時々で、いまにフォーカスする。いま考えられるベストな行動をする。それがよりよい未来につながると思うから。

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