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【壮大ネタバレ】ドラゴンクエスト ユアストーリーの感想 評価3点

壮大にネタバレしているので注意!映画ドラゴンクエスト ユアストーリーは全体を通してドラクエ5の世界観に没入させてくれない残念な演出であった。ゲーム画面を使ってのチープな導入。感動ポイントを端折り短くまとめられたスートーリー。骨が砕け、血がしぶく生々しい描写がない戦闘シーン。散りばめられたハリウッド映画にあるような爽やかなギャグ

愛着がある作品だから感情移入はしたが(何度か泣いた)どこか入り込めないのは上記のような演出のせいだ。そうやって物語は終盤に向かい、ラスボスはどんでん返しとなるセリフを口にする。「実はここまでの君(主人公)の人生は全てプログラムされた疑似体験だ。実はここはゲームの世界なのだ。私はこの虚構の世界を壊したい」ここでメタフィクションの構造を持ち出されていよいよ感情移入できなくなる。もっと正しく言うなら冷めた気持ちになったのだ。映画では、そんなラスボスを主人公(疑似体験の世界に入り込んでいた「僕」)が「ゲームの世界だってひとつの真実だ!」と叫び、やっつける。ゲームの世界は元の状態に修復され主人公は無事にハッピーエンドを迎えるのだ。

さて視聴しての感想だがとても不満が残った。ネットで酷評されている理由はきっと共通だ。ドラクエ5の世界観に没入することを求めた視聴者は、気持ちよく最後まで感情移入させてくれないことに怒っている。私も同じ気持ちだ。その点から言えば不満は大いに残った。しかし一方で不思議な気持ちになった。映画を見終えて、帰宅の途につきながら私はゲームをしていた頃の自分の気持ちを客観視していたのだ。確かに私はあの頃ゲームをしながらワクワクしていた。まだ見ぬライフイベントに期待と不安を膨らませていた。「人生を共にする仲間は自分にもできるかな」「恩を仇で返されたら本当に辛いんだろうな」「自分の場合はどんな人がお嫁さんになるのだろう」「子供に慕われるってくすぐったい感じなのかな」そうしたウブで純な気持ちでゲームパッドを操作していたことを再確認したのだ。ここからが重要な点であるが、もしここで完璧に世界観に没入できるドラゴンクエストを見たらどうなるだろう。私はきっと映画を絶賛し、ステキな少年期の気持ちを映画によって上書きしてしまうのではないか。私は今回の映画を見ることによってまるでスイカに塩をかけることでより甘く感じるように、少年期の気持ちをまざまざと思い出すことができた。少年の頃のワクワクした気持ちを手に取り、眺め、そんな気持ちだったねと自分自身と対話することができたのだ。それはこの映画がドラクエ5の世界観に没入させてくれなかった故の産物だ。制作者の意図は分からない。しかし私はそのように考え「この映画も悪くなかったな」という評価に至った。しかし、映画の評価は5点中3点でいい。それが過去を客観視するのに適正なこの映画の評価なのだ。youtubeでドラクエ5のサントラを聞きながら、そんなことを考えた。これから私は、ビアンカでもフローラでもない「私の」天空の花嫁に会うために電車に乗って帰宅する。

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