写真_2017-07-20_21.47_のコピー

一人であるということ。

そういえば、僕は人より自己との対話時間が長い。

ずっと一人だったからだ。

ひきこもってずっと一人だった。その年数およそ3年。

その期間にはまったものは4つ。

ゲームとゲーム実況動画とテニスと本。

ゲームとゲーム実況動画は受け身なものだから、自己との対話はあまりない。(楽しいからいいのだけど)

自己との対話をテニスと本はかなりしていた気がする。特にテニス。(テニスしてるならひきこもりじゃないじゃん!とたまに突っ込まれるが、様相は本当にひきこもりそのものだった。ほとんど喋らない、テニスをすることだけに集中していた。)

「深く深く」と心で呟きながら、精神を沈み込ませていくあの感覚。

あの感覚を味わい出してから僕は変わったのだと思う。「心」というものが一番であると認識し始めた。

自己との対話とは言い換えると、心を味わうこと。

その感覚に浸っていると自分がわかってくる。

そういう感覚に浸る時間が大事だ。

だけど最近そんな時間が少なくなってきている。

人との繋がりを知ってしまった。人と一緒にいる時の快楽を知ってしまった。SNSで人とコミュニケーションする快楽を知ってしまった。

評価経済と叫ばれるこの世の中で、それは大事なことだと思う。

評価とは人からの評価だ。つまり、何よりも人との繋がりが大事な世の中だ。

でも、そんな世の中でも一人の時間は必要だ。大事だ。いや、そんな世の中「だからこそ」かもしれない。

一人の時間によって自分というものが醸成される。自分が出来上がれば、そこに自分の「価値」が生まれる。

それは人から評価されるコアとなる。

だから、これから増やしていこうと思う。一人の時間を。

しかし、できるだろうか。人と会いたくなるだろう、Twitterを開きたくなるだろう、そんな欲を一時でも絶ちきることは出来るのだろうか。

一人が「寂しい」と気付いてしまった今、一人に戻れるのだろうか。

そんなことを考えながら帰る深夜の街並み。。。

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