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掌編小説 猫 (1)

猫  

一匹の猫が公園のベンチに寝転んで毛づくろいをしている。
「今日の午後からまた台風が来るぞ。安全な場所に隠れるんやぞ」
 ほんの一週間ほど前にも大型の台風がきたばかりだ。怖い思いをしたはずだから猫とてそのことを忘れてはいまい。
 すると、猫は案の定余計な心配だとでもいいたげに、曇り始めた空を見上げて大きな欠伸をひとつした。
 猫の、欠伸の前の一瞬の、泣き笑いのように見える表情を見たとき、私は子どもの頃、本当に泣き笑いのような顔をした猫を見たことを思い出した。
 たしか自転車の補助輪が取れたばかりの小学校低学年の頃だったか。
 まだ自動車自体がそれほど多くない時代で、私の住む地域で普段目にする車といえば、配送用の軽トラックや会社の名前を書いた営業車、それにタクシーくらいだった。一般の個人が車を持つようになるのはまだ少し先のことである。
 ある日のこと。
自転車で近所の駄菓子屋さんに向かっていると、前方から一台の乗用車がやって来た。
 車が二十メートル程に近づいたとき、道路を渡ろうしたのであろう一匹の猫が車の真ん前に飛び出してきた。
 あっ、と思ったときには、猫は車に撥ねられていた。
 猫はまるでサッカー選手が蹴ったボールのように、放物線を描いて私の方に飛んできた。
「うわっ」
 私は転びそうになりながら思い切りブレーキレバーを握った。
 猫は私のすぐ前にあった店の立て看板にぶつかって、横ざりに地面に落ちた。ブレーキが少し遅かったら私とぶつかっていたかもしれない。
 車はなにもなかったかのように走り去っていく。
 死んだのだろうか。
 怖々猫を見ると、それまでじっとしていた猫がすっと立ち上がった。
 そして建物と建物のあいだの猫が一匹通れるだけの隙間をすたすたと歩いて姿を消したのだった。
 私は家に帰ると、両親にその日見た猫の交通事故のことを話した。
 私の話を最後まで聞いた父は、ぽつりと
「あとで死んどるかもしれんな」
 といった。
「普通に歩いてどこかに行きよったんやで」
 私がいうと、父は、生き物というのは極限状態ではそういう理解を超えることが起きるのだということを、父が祖父から昔聞いたという戦場での話を交えて話した。
 けれども私は「あとで死ぬ」という言葉に怯えきっていたので、それ以外の父の話はほとんど憶えていない。

 半年だったか一年だったか経った頃、私は空き地の中の草むらから一匹の猫が出てくるのを見た。
 あっあのときの猫や、私はとっさにそう思った。猫が撥ねられた場所からそう遠くなかったし、毛の色がよく似ていたからだ。
 猫はぴょんぴょんと跳ねるような歩き方をした。
 自転車を止めて見ていると、猫はこちらに近づいて来た。
 猫は肩の下あたりから右足が無かった。足の先端となる部分は、肉が盛り体毛に覆われていた。
 すると草むらの中からみぃみいと声がした。仔猫が何匹かいるようだった。自転車にまたがったままかがんで草むらを覗くと小さな影がみっつほど見えた。
 猫は仔猫の声を聞くと、急いで草むらに帰っていった。
 猫の右足が無いのは、車に撥ねられたときの怪我が原因なのだろうか、私はその夜、前に車に撥ねられた猫を見かけたと両親に話した。
 足が一本無かったけれどそのときの怪我だろうか、と。
 父は、動物は医者に行くこともできないから怪我を自分で舐めて治すのだといった。足は骨が折れ、そこから腐って落ちたのだろう、とのことだった。そもそも違う猫の可能性が高いとも。
 それからその草むらに猫の親子の姿を見るようになった。仔猫は三匹いるようだった。
 ある日の夕方、空き地の横を通ると、草むらのそばに中学生のお姉さんがしゃがんでいるのが見えた。
 知らない人だった。
 猫を見ているのだろうと思った。

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