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怪談実話 「誰?」

 これは超低空飛行怪談作家のワタシ(ひびきはじめ 54)が、ほんの一時間ほど前に実際に体験した話である。いま、ちょっと吐きそうなくらい混乱している。


 父親が入院している。今日は点滴や輸血をしやすくするための器具を鎖骨の下あたりに埋め込む手術を受けた。手術自体は難しいモノではなく、一時間ほどで無事終了したとのこと。
 ワタシは職場から一旦家に帰り、午後七時前に、父に付き添っている母をクルマで迎えに行くことにした。完全看護なので、夜の付き添いは不要ということになっている。
 じいじに会いたいと娘も付いてきた。

 病院に着いたワタシと娘は、夜間通用口を入り、エレベーターで〇階に向かった。ワタシも娘も、もう何回も来ているので慣れたものだ。
 〇階でエレベーターを降りると、父の病室に向かった。
 ※※※(階数部屋を示す三ケタの数字)号室。
 部屋の入り口のネームプレートには四人分の枠があるが、左下の枠、父の氏名はテープで目隠しされている。入院時に、名まえを出しても伏せてもどちらでもいいと言われて、母がよくわからないままそうお願いしたためだ。
 四人部屋で、父のベッドは、通路側入って左側である。
 ワタシたちは、部屋番号を確認して病室に入った。

 ベッドはぐるりとカーテンが閉じられていた。
 なぜか灯りが点いていない。手術が終わって眠っているのだろうか。
 ワタシはカーテンを少し開けた。
 カーテンの内側は暗い。
 父は寝ているとしても、母はこんな暗いところにいるのか。
 母はなにをしてワタシたちを待っていたのだろう。
 父は、夏用の薄い掛け布団を首までかぶって寝ていた。
 手術後にしては物々しい感じがまったくない。こんなものなのだろうか、と軽い違和感を覚えた。
 それにしても、母の姿が無い。どこかに行ったのだろうか。
 すると、ワタシが来たことに気づいたのか、父がうっすらと目を開けて、視線だけこちらに向けた。
「ばあさんは? どこか行ってるの?」
 返答がない。まだ少し朦朧としているのだろうか、そもそも耳も遠いから聞こえていないのか。
「ばあさんは?」
 ワタシは、これから迎えに行く、と伝えたにもかかわらず、母が病室を出てどこかに行っているということに少し苛立ちながらもう一度訊いた。
 すると、父は
「あっ」
 と言いながら、むくっと半身を起こした。
 ワタシは驚いた。今日受けたのはそれほどに軽い手術だったのか。

 半身を起こし、サッとベッドの上で軽いあぐらをかいたかと思うと
「なんですやろ?」 (何か御用ですか? の方言)
 と言った。
 寝顔、身体のシルエット、起き上がる(完全に起き上がるその直前)までは、間違いなく父だったのに……。
 起き上がった男の顔は父ではなかった。
 (ワタシの記憶が正しければ、母が父に用意したパジャマと同じだったのだが)
 見れば見るほど、父ではない。別人である。
 ならば、ワタシたちが部屋を間違えたとしか考えられない。
 部屋を間違えたうえに、他人を父だと思い込んでしまっていたのか。
 ワタシはあわてて
「すみません。部屋を間違えました」
 と言った。
 ワタシの後ろにいて一部始終を見ていた娘も「ごめんなさい」と言った。
 ワタシと娘はバツの悪い思いで病室を出た。
 病室を出るとき、ワタシと娘は、ネームプレートと部屋番号を見、
「※※※号室やんなぁ。間違ってないもんな」
 と、言った。

 腹を立てながらすぐに母に携帯電話をかけた。
「部屋を替わったならちゃんと言うてくれよ。迎えに行くて言うたときにそう言うてくれんと。知らんと前の部屋に行ってしもたがな」
 手術後、ケアのためにナース・ステーションの近くの部屋に替わったのだろう、ワタシはそう思った。
「………?」
 しばらくして母が言った。
「……部屋、替わってないで」 
「あほなこと言わんといてくれ。いま、じいさんの寝てたベッドに違うおっさんが寝とったがな」
 いま何号室にいるん? と訊くも、話がかみ合わない。
 病室がわからないとどの部屋に行けばいいのかわからない。とにかく、談話室で待ってるから迎えに来てくれ、とワタシは母に言った。
 部屋を替わっていないならば、何回も訪れている病室を間違うはずがない。しかも何度も来ている娘と一緒に。

 すぐに母は不思議そうな顔で談話室にやってきた。
 母に連れられて行った病室は、やはりワタシと娘が行った場所、いつもの※※※号室だった。
 暖色系の淡い灯の下で父は寝息を立てていた。
「私ら、ずっとここにいたよ」
 母は言った。

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