「手におえない記憶」 にぎやかな静寂
夢の中。
ぼくはひとり夏の夕暮れの匂いがする山間の村にいる。
集落を貫く石畳の細い路に立って、目の前にある黒い革靴を見つめている。
その足は白い靴下を履いている。
中学生くらいの女の子。革靴は学校の制服なのかもしれない。
しゃがみこんでその足にそっと触れてみたい、と思う。
革靴には革靴の質感と特有の硬さがあるのだろうか。白い靴下を履いた足首からは柔らかさと体温を感じ取れるのだろうか。
それとも……。
実際に指で触れてみれば判ることだ。
少し力を入れて押してみるのがいいかもしれない。
ぼくの指がその足に触れた瞬間、あるいは触れられなかった瞬間。
ぼくの人生に手におえない記憶が刻まれるだろう。
黒い皮靴と白い靴下。
ひざから上は……無い。
ああ、これがそうか。これが幽霊なのか。
こういう風に見えるのか。
そうか。
これがそうなのか。
脚だけとはいえ、こんなにはっきりと見えるものなのか。
見える、ことと、有る、ことはこれほどまでに近いのか。
ほんとうにこんなことがあるのか。
本来ならば、ようやくこの目で見ることが出来た、と喜ぶべきなのかもしれない。
だが……。
ぼくは自分自身のあまりの動揺ぶりに狼狽えてしまい、いまにも卒倒しそうなくらい混乱していた。
この至近距離において、気のせい、見間違い、勘違い、そうしたものが入り込む余地はない。あるとすれば、リアルすぎる幻覚か、そうしたものが実在するという現実だけなのだ。
そしてぼくをもっとも困惑させたのは、いまこの「幽霊の脚を見た」瞬間を境にして、ぼくの人生が「これまで」と「これから」とに、はっきりと分れてしまうような感覚だった。
日常に挿し込まれたたったひとつの小さなエピソードによって、ぼくがこれまで生きてきた地軸のようなものがずれてしまったような気がした。足元がぐらぐらと揺らぎ、行き場を失ったあらゆる感情が胃の中に流れ込んでくる。
混乱しすぎて吐く、とはきっとこういうことなのだろう。
これからぼくは否応なく「これから」を生きることになるのだろう。
この「幽霊の脚を見た」ことを思い出すたびに、この気持ち悪さがぶり返すのだろうな、と考えると暗澹たる気分になる。
いつか、そういうこともあったなあ、と話せる時がくるのかもしれないけれど、このことでひとつ分かったのは、世の中には怖い体験を思い返すだけで具合の悪くなる人もいるということだ。つまりずっと話さずにいる人だ。いまとなれば、そういう人の気持ちがよく分かる。
脚だけなのか、身体はあるけれど見えないのか。
真上から見れば脚の断面が見えるのか。
脚の断面があるとすれば、それこそがあの世とこの世の境目ではないか。
ええい、ままよ。
どうせならこの目で見てやろう、と真上からのぞき込もうとした瞬間。
「きょうは、いつもよりはっきり出てはるなぁ」
知らないお婆さんの声が聞こえて、目が覚めた。
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