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生で見た有名人 # 「にぎやかな静寂」

 たしか中学生のときだったから、かれこれ40年ほど前のことになる。
 彦根にはラジオの支局や滋賀大学があった関係だろうか、当時は有名なフォーク・シンガーや若いタレントが歩いている姿をよく見かけたし、彦根の町のあちこちにそうした公演やイベントを報せるポスターが貼ってあった。
 ある日、友人とふたりで京都に遊びに行った帰りに、彦根駅の上りホームで「つるべ」を見つけた。
 若き日の笑福亭鶴瓶師匠である。
 夜の8時くらいだっただろうか。
 ぼくたちと同じ電車で彦根に来られたようだった。鶴瓶師匠はあのねのねの清水国明さんと何か話しながら改札に向かっておられた。
 当時、巨大なアフロ・ヘアに黒縁メガネ、デニムのオーバー・オールがトレード・マークだった鶴瓶師匠は「丸物ワイワイ・カーニバル」という近畿放送(現KBS京都)の公開ラジオ番組の司会をしておられて、たしかまだ新人の部類ながら中高生に絶大な人気があった。そのころの鶴瓶師匠は、突然「ももっ!」と絶叫するギャグをはじめとして、つるべは何をするかわからない、と時々中高生でも引くようなハチャメチャなパワーを持った、おもろい兄ちゃんという感じだった。
 ゲームもパソコンもビデオもスマホも無い時代、ラジオは若者の必須アイテムで、ディスク・ジョッキーやパーソナリティーはアイドル並みの人気を誇っていた。そんな中で「つるべ」はぼくたちの大好きなアニキ的存在だったのだ。

 巨大なアフロを前方に見つけたぼくと友人は、瞬時に「つるべや!」と顔を見合わせた。
 タイミングがいいことに手には京都に持って行ったカメラがある。四回焚けるフラッシュは一回も使っていないし、フイルムもまだ何枚か残っている。やったぁ、写真を撮らせてもらおう。
 ぼくは小走りでつるべに追いついた。
 あのつるべが目の前にいる!
 と心躍るものの、緊張してしまって何と声を掛けていいかわからない。
 ぼくは、とん、とんっ、と、うしろからつるべの肩を叩いた。
「おっ?」
 と、つるべが振り向くのと同時に薄暗いホームに閃光が拡がった。フラッシュが焚けるボンッという音が重なり、マグネシウムの燃えた匂いがする。
 つるべが振り向いた瞬間、焦ったぼくは思わずシャッターを押してしまったのだ。どうしていいかわからなくなった。一瞬の出来事だった。
 すると、目の前でフラッシュを焚かれたつるべは、相手が中学生だとわかったのだろう。怒りもせずに、
 「おわっ! びっくりしたっ」
 と、大げさによろけて見せたあと
「わははははっ! びっくりさせなや」
 と笑ってくれた。
「す、すいません」
 ぼくと友人は逃げるようにふたりから離れたのだった———。

 その奇跡のドアップ写真だけど、けっきょく現像できていない。現像代が無かったからだ。カメラから取り出したフィルムを引き出しに入れたままにしているうちに、いつかどこかにいってしまった。

 もしも機会があれば鶴瓶師匠にこう言ってみたい。
「師匠。憶えててくれはりますか? いまから40年ほど前……彦根駅で……」
 鶴瓶師匠はきっと
「憶えてるよ! 当たり前やがな」と言って笑わせてくださると思う。


 
 

 
 
 

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