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怪談琵琶湖一周より「化かされる」GWver.

 琵琶湖を囲む山々には、「怖っ!」と震えるような怪談ばかりでなく、聞き終わったあと思わず「なんと、まあ」とか「まじっすか」と言ってしまうような不思議な話もあります。今日はひとつそんなお話を―――。

 現在七十代のTさんは、湖北地方のある村に生まれ育った。
 Tさんが小学生の頃の話だというから、時代は昭和三十年代の初めのことになる。

 その頃Tさんは時々父親の山仕事を手伝って小遣いを貰っていた。
 セタ(背負子の方言)を背負って割り木を運ぶのである。
 山間の伐採所や作業場まで歩いて登り、そこから運搬用の三輪トラックが上がって来られる最終地点にある集積所まで割り木を背負って山の斜面を下りる。
 トラックが回収に来るのは三日に一度。それまで割り木はそこに集めておくのである。
 一回上って下りて五円(うろ覚えとのことわりあり)ほど貰ったという。

 ある日のこと。
 山を一つ越えた隣村で祝言があった。Tさんの村の大人も何人か招かれた。
 もとより娯楽の少ない時代である。
 村の人間にとって、よそ様の祝儀不祝儀はご馳走やお酒も振る舞われる非日常的な出来事であった。気持ちも高まる祝い事はとくに歓迎された。

 新郎の遠縁にあたるBさんなどは、これを機にと羽織袴を新調するほどであった。
 祝言も無事に終わり、宴もお開きになると、村の男たちはそれぞれ手に提灯と折り箱を下げて山道を戻ることになった。

 ところが、Bさんは少し飲み過ぎたこともあり、皆と一緒には帰らずあとでひとりで帰ることになったという。

 夜もずいぶん更けた頃、酔いが醒めたBさんは提灯と折り箱を持って家に向かった。

 一方、遅くまで帰りを待っていたBさんの家族も、Bさんはおそらく先方に泊めてもらったのだろうと考え、自分たちも寝ることにした。大の大人が隣村から帰るだけの事。途中で何かあるとも思えなかったからである。

 その翌朝のこと。
 仕事で山に入る男たちが割り木の集積場までやって来た。
 (今思えば学校は休みだったのだろう、とのこと)Tさんも男たちと一緒に上って来ていた。

 見ると、そこにセタを担いだ男の姿があった。
 Bさんだった。
「おい、何してるんや」
 男の一人が大きな声を掛けた。
 山の斜面を上りかけていたBさんはその声に足を止める。

「何て、お前ら見てわからんのか。割り木を……」
 Bさんは背中に背負ったセタを顎で指した。
 そして、何をわかりきったことを訊くのだ、という顔をしたあと、あらためてという風に自分の服装と周囲を交互に見やって
「うわーっ」
 と叫んだ。

 Bさんは、ひと晩中、セタを背負って山の斜面を上がり下りしていたのだった。
 前日までにTさんたちが伐採場から下した割り木をひたすら元の場所まで運び上げていたのである。

 Bさんの雪駄の鼻緒は切れ、足袋は擦れ切れて破れていた。
 手も足も傷だらけで、せっかく新調した羽織袴は泥に塗れてぼろぼろだったという―――。

追記。
ね。まじっすか、でしょ。
昔とはいえ、戦後、昭和の時代。
本当にこんなことがあったのです。

 

 

 

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