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「言葉で誰かの支えに」 佐藤ゆりかさん

心を寄せる詩作 今も


 石巻市のぞみ野の会社員、佐藤ゆりかさん(27)は、東日本大震災当時、湊中学校の2年生だった。2人の同級生が津波の犠牲になり、自宅や両親が営んでいた水産加工場も被害を受けた。「環境が全て変わって感情が分からなくっていた」。心の内を整理すべく、口に出せない感情を詩に託すようになった。

 発災時は1人で同市大門町の自宅にいた。周囲の様子を見に庭へ出たところ、近所の人に声を掛けられ、車で避難所となっていた湊中まで乗せられた。

震災後から詩作を続ける佐藤ゆりかさん

 校舎内で両親と合流し、無事を確認。一安心もつかの間、4階から外に目をやると、校舎の方へがれきや車が流れてきた。「うちのお父さんの車だ」。一緒に外を見ていた同級生がそうつぶやいた。

 5日後、自衛隊の救助で家族と二次避難先の石巻北高に移動。教員に自習スペースと文房具を用意してもらったが、参考書などはない。予定されていたはずの学校行事が過ぎていくのを考えつつ、絵を描くなどして時間をやり過ごした。

 5月下旬に初の登校日を迎えた。そこに幼少から顔なじみだった同級生2人の姿はなく、津波の犠牲になったことを知った。久しぶりに会えた友人にも「無事で良かったね」とは言えなかった。佐藤さんは「その子が無事でも、家族や親戚が犠牲になっているかもしれない。自分の言葉で誰かを傷付けたくなかった」と振り返る。

 校舎が被災した湊中は石巻中の2階を間借りしており、夏に仮設住宅へ移るまでは避難所から通った。学校では、家や家族の被災を免れた同級生がにぎやかに過ごしていた。さまざまな人が身を寄せる避難所とは雰囲気が異なる。その差に戸惑い、感情をうまく口に出せなくなっていった。

 そんなとき、宿題で詩の提出が求められた。作文は得意だったが詩作は初めて。「人」と題した作品を書き、教員から褒められた。思いが相手に伝わったことがうれしかった。「これなら感情を素直に出せる」。悲観的な言葉も吐き出し、心の中を整理するように文字をつづり始めた。

亡くなった同級生の母親に書いた詩。 書道家が書き起こしたもの

 詩作のきっかけは心の整理だったが、いつしか誰かを励ますものに変わっていった。加工場の泥かきの手伝いに来ていたボランティアに詩を見せるようになった。「僕たちの方が元気になるよ」とボランティアが詩を持ち帰る姿に励まされ、自然と書く言葉も前向きなものになった。亡くなった同級生の母親にも、元気付けようと作品を手渡した。

 今も詩作を続けており「誰かにとってのふとしたときの支えになりたい」と言葉をつづっている。あす9日には、石巻市かわまち交流センターで午後1時―7時まで作品が並ぶ。佐藤さんが卒業した石巻専修大の庄子ゼミによる「竹こもれびナイト」の一環で、被災体験や街の復興などを自由に話してもらおうと設ける「語り合いサロン」に展示される。
 【泉野帆薫】


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