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世界のオザワと石巻 ㊤

市制50周年記念で演奏

 世界的指揮者の小澤征爾さんが2月6日に88歳で亡くなって約2カ月。出身校の桐朋学園の元理事長、生江義男さんが石巻市出身だった縁で、3度も石巻を訪れた小澤さん。その音と姿を耳と目に焼き付けた石巻の人たちの声を中心に小澤さんを振り返る。2回続き。

昭和58年10月28日に市民会館での演奏会で指揮する小澤さん。当時の石巻日日新聞には新幹線のトラブルや公開リハの様子が克明に記されている

 小澤さんが石巻で最後に指揮を執ったのは昭和58年10月28日の石巻市制50周年記念演奏会。ボストン交響楽団の音楽監督だった48歳のマエストロは、石巻公演のために米国から帰国。その後、すぐにフランスに旅立つという過密スケジュールの中、桐朋学園オーケストラを率いてやってきた。実は公演当日、関東で起きた地震の影響で電車が止まり、小澤さんら一行はバスを乗り継いで予定より3時間遅れで石巻市民会館に到着した。

 この時、開演時間に遅れまいと必死に自転車をこいだのが、当時石巻商業高校1年でサックスに夢中になっていた後藤春彦さん(56)=現宮富士工業専務。「間に合ったのはいいけど、普段着のような小澤さんがステージに出てきて、『これからリハーサルをします』って言ったんだよね」。すでに満員の観客を前に、公開リハーサルをするという珍しい光景となった。

異例 満席の公開リハ

 本番ではモーツァルトの歌劇「魔笛」、ブラームスの交響曲第1番などを演奏。「すごい拍手が起こり、ブラボーという声を初めて聞いた」と後藤さん。小澤さんに刺激され、「指揮者を目指そうと思った」ほど興奮した。

 同市渡波の阿部和枝さん(76)も、小澤さんが客席に語り掛けた光景が忘れられないという。「ステージの中央で、マイクも持たずに公開リハーサルをやりますと話していた。特に大きな声でなく、柔らかく澄み渡るような声。驚きと同時に、指揮者との距離がグッと縮んだ瞬間だった」と振り返った。

 同市渡波の法音寺住職、谷川正明さん(71)は高校の教員時代に駆けつけた一人。「小澤さんが指揮台に立つと緊張感が走った」という。生江さんの出身校である石巻高校のOBや桐朋学園に進んだ子弟の保護者を中心にした石巻桐朋会があり、石巻高校出身の谷川さんも「小澤さんには特別な思いがあった」。

にじむ気さくな人柄

石巻市制50周年記念公演のパンフレット。左が小澤征爾さん、右がピアニスト仲道郁代さんの直筆サイン(武田勍さん提供)

 公演が終わったのは午後9時半ごろ。谷川さんによると、「終演後、小澤さんを自宅に招いて料理や酒をふるまったというのが、石巻桐朋会の佐藤信男会長の自慢だった」そうだ。

 公演プログラムを刷った鈴木印刷所に勤めていた武田勍(つよし)さん(78)は、夫婦で公演に出かけた。小澤さんの体験記「ぼくの音楽武者修行」を読んでいただけに感激ひとしおだったという。

 小澤さんに直筆サインを書いてもらったプログラムは、関係者を通じて手にした宝物。東日本大震災の難を逃れ、今でも大事に保管している。印象的だったのは、プログラムを飾った小澤さんの写真。音楽関係のカメラマンとして有名だった木之下晃さんが撮影したもので、「特に表紙の写真が素晴らしい。見れば見るほど指揮をする小澤さんの表情、タクトを振る両手の絶妙な動きに引き込まれてしまう」と当時の思いを明かした。

 公開リハで「小澤さんがタクトを振るたびに『アッ、アッ』という小さな声が漏れ聞こえた」とも。妻の恵美子さん(78)は「本番で最初に出た音が今でも忘れられない」と懐かしんだ。

 終演後、たまたまロビーにいた小澤さんに気が付いて会釈した同市日和が丘の関川久美子さん(85)は「あの世界的指揮者の小澤さんが、お辞儀をしてくれた。何の話もしなかったけど、もうびっくり。気さくな方で感動した」と思い出を口にした。
【元本紙記者・本庄雅之】

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